はびこる故障と回復の勘違い

先日のバレエ教室の稽古は、ベテラン先生による丁寧で重厚な基礎レッスンで、基礎練が大好きな私は大満足だったのですが、1ヶ月前くらいから故障して身体を痛めながらも通っている方が「来なければよかった」「途中で帰ろうかと思った」とおっしゃっているのを耳にしました。
 
  
その文脈はおそらく「重厚な基礎レッスンは故障している身体にとってきついから、早くて難しい動きを行う初級レッスンの方が、まだ身体が動かせられただろう」という感じだろうと思います。
 
その会話を耳にして「やはり普通はそういう視座にしかなれないよねぇ」となんとも言えない気持ちになりました。
 
要は、基礎より初級レベルの方が、(故障をしていても)動きをごまかしながら”バレエっぽい動き”ができるというのがバレエ界隈の一定の常識なんだろうと思います。(それってバレエではないのでは?という素朴な疑問が湧きますが)そしてそちらの方がリハビリになると思っている方もたくさんいるんだろうと思います。
 
私のメソッドを学んでくださっている方なら十分理解していただけると思いますが、その考え方はぶっちゃけ、私のメソッドの考えと真逆の視座です。
 
本来は、基礎クラスでまともに自分の身体をコントロールできない人が、初級クラスを受講するのは自爆行為のはずです。またバレエ界には「難しいテクニックがこなせる方がレベルが高い」「レベルが高い方が優れた身体」というような前提があるからこそ、無理をしてでも高いレベルへいきたがる人、レベルを落としたくない人が出てしまうのではないかと思います。(私はもうずいぶんとそういう価値観から遠ざかってしまったのでこういう書き方になっちゃうのですが。)

これは身体観の話であり、身体に対してどのような価値観や目的をもっているかで行き着く先が変わってしまうこと(やものの見方を変えることの面白さ)が見え隠れしますが、それを書き出すと長くなりすぎるのでまたの機会に。
 
私のメソッドの考え方には「スローを制するものはあらゆる動作を制する」というものがあります。スローほど難しいものはない(どこまでも掘り下げることができる)と入っても過言ではないくらい、スローが基礎であり、応用にもなります。
 
ピラティスはそういった地味でスローな動きをエクササイズ化することに成功した点がすばらしいと思います。バレエではすっ飛ばしているところを、ピラティスは見逃さなかったとも言えます。それゆえ高齢者のリハビリとしても機能し、誰でも取り組めるものとして普及に至ったのではないかと思います。
 
私のメソッドは、ピラティスのその考えをめちゃくちゃ尊重して、さらに濃くして指導しているわけなんですが、それは言葉にすると「いかに簡単な動きを命懸けで(全身全霊で)やるか」という感じです。
 
簡単な動きを簡単に動く=いつも通り/変化なし
 
簡単な動きを命懸けで動く=いつもと違う/変化が生じる
 
ということなのですが、簡単な動きを命懸けで動くということは、慣れるまでは意外と難しいです。まず「それってどういう動きなのか?」という見本が必要です。(動きは言葉だけで理解できないものなので)
 
「一つ一つの動きが自分の身体を作っている」という世界に気づけば、ピラティス的なスローな動きの価値がよくわかると思いますが、まったく違う別の次元で身体を動かしている人に気づいてもらうのは至難の業です。
 
だからこそ、ピラティスさんの功績は素晴らしい。
 
それでも動作の世界はまだまだ一般には知られていないことばかりです。
(こんなに情報が溢れているのにね)
 
全身全霊のキャット ↓ ↓ ↓


 
肩の下に手首
骨盤(前上腸骨棘)の下に膝
骨盤はニュートラルポジション(仙骨が床と平行)
足裏を縮め甲を伸ばす
仙骨から頭頂まで伸長
鎖骨は広く(真横に長く)
肘は外に向け、伸展しきらずグラグラのまま(上腕骨内旋/手の指はまっすぐ)
脇の下の前鋸筋や僧帽筋中部/下部繊維などで床をプッシュして頭部や上体を高い位置にキープ
肩には一切力を入れない
首は前と後ろ共に同じ長さ(首のギプスをイメージ)
目線は斜め前

上記がエクササイズを始める前に認識するポイント。
ここから呼吸や使う筋肉や骨のベクトルやどのように動かすかということについての意識ポイントが始まる。雑な動きを徹底的になくす。それがうちのやり方です。(正直、雑をなくす=1回の動きで得られる成果/変化が圧倒的に高まるので、面倒なようで早道です)