買いたい人と売りたい人の相思相愛

先日、施術ベッドを新調しました。
 
今まで使っていたものはなんと私が身体の勉強を始めて間もない頃、なけなしのお金で買ったもので、20年も壊れずに使えました。
 
 
20年前と同じ形で折りたためるベッドを探したのですが見つからず、とても残念ですが首の角度が調節できないものに変わりました。(しかも新しい方がスリムだけど重いんです。多分これは20年もたないでしょう。)
 
買い物って、出会いですよね。
 
私はミーハーと真逆タイプなので、一度気に入ると何度もリピートしたいタイプなので、服や靴も(食品とかも)そういうものが多いです。
 
でも同じ形とは二度と出会えないことばかり。(気に入った食品もしばらくするとよく店頭に並ばなくなることも多いです)
 
もっとゆっくり進んでほしいのに、世界はそんな私の気も知らず、どんどん先へ進んでゆきます。
 
資本主義社会は売れないと変えざるを得ないことばかりで、かくいう私も、色々と形を変えて経営してきました。
 
そう思うと、買いたい人と売りたい人が相思相愛になるのって、なかなかないことなのかもしれません。
 
今日は学校のクラスメイトでまだ19歳なのに痛めた膝は治らないと諦めている子に対して、ほんの少しだけ、私の考えを言葉にすることができました。
 
「まだ若いのだからいかようにも改善できるよ」と。
 
もちろん彼女にとっては全く信じることができない、取るに足らない会話だったと思います。
 
私は主に30代〜60代の、日常生活がままならないほど身体が壊れてしまった方の改善を手伝っています。
 
だからいうまでもなく、19歳でもうダメだなんて、あり得ません。
 
でも何をどうしたら改善できるのかなんて誰も知りません。
 
「身体が痛くなったら湿布か病院」
という考えを彼らは冗談抜きで、真面目に持っています。
 
痛みは身体の動きのクセから起きていることがほとんどですから、無意識の動きのクセを一定程度直すにはかなりの知識と訓練が必要なのは確かです。
 
だから面倒くさい人はやらなくていいと思っています。
多くの人が面倒くさいという考えだと思います。
 
でも中には目を輝かせて「その方法、知りたいです!マスターしたいです!」と言う方がいて、私はそう言う人に教えたいと思っています。
 
でも世の中の身体(身体操作/身体作り)に対する捉え方は、「方法がわからない」というよりももっとプリミティブな状態だと思います。
 
私はそれを突きつけられる度に実はこっそりと傷ついているのですが、誰も知りたくもない存在を教えてくれという人はいませんから仕方ありません。
 
自分の身体をめちゃくちゃに使う自由だってありますからね。
 
私はただ、自分主体ではなく身体主体で生きたいだけです。
 
身体が回復したがっていれば手を貸すし、身体が無理をするなとか、迷惑だと警告してきたらかなり早い段階でその無理をやめます。
 
身体のために引越しだってします。
身体のために仕事もライフスタイルも選んできました。
 
ベッドの話からすんごい話が脱線しましたね。
 
最近発信したい欲が沸々と湧いているので書き出すと溢れてくるのかもです。

(20年間使ったベッド↓)