職人的なトレーナーの仕事

昨日今日は朝から晩までトレーナー養成講座で集中した二日間でした。
  
  
養成講座とは、私が持っている技術や知識を受講生に身につけてもらうということなのでとても難しいことです。一つの施術法を教えるにしても、受講生は一気に大量の情報を受け取らなければならず、頭で理屈を理解するだけではなく、感覚でそれを理解できるようにしなければいけません。
 
そしてその感覚はすぐに身につくものではなく、ボヤッとしていると何も記憶に残らず、自宅に帰ってから再現ができないこともあると思います。
 
私も今、バレエの稽古でレベルが高い方のクラスにて最後に行うセンターの動きがさっぱりわからないときがあるのでその気持ちはよーくわかります。何かとっかかりを一つでも記憶できれば幸いですが、それすらできず、すべて手からこぼれ落ちてしまうときも多々あります。(というかたった1回の説明と見本のみで初めての複合的な動きをいきなりやれというくらいの無理ゲーなのです 汗)
 
今日はレッスンの組み立て方について講義をしましたが、私自身は特に何かマニュアルを覚えたというわけではありません。私はパイオニア系なので、師の教えを元に、必要な素材を集め、全部手探りで組み立ててきました。なので私のレッスンが優れているかどうかはよくわかりません。ただ私なりにレッスンをするときは、生徒さんを含めたレッスン中の時空のすべてを統御する感覚でやってます。
 
私は元々治療家を目指していたため、「患者をみる」という訓練をしています。インターホン越しに見える生徒さんの雰囲気、玄関を開けて挨拶してくださったときの佇まいや無意識にしている身体の使い方のくせ、レッスン前に本人の口から伺う身体や近況の状況と、実際身体に出ている情報、生徒さんの背景にある情報、実際に身体を触ったときの情報(皮膚や筋肉の状態、着ている衣服の質感)など、言語化できないものも含めて色んなものをみています。
 
それは「生徒さんの身体を私の身体に映している」という感じです。
 
その上で、「今のこの人にはこれをやったほうがいい」と思うものをチョイスしてレッスンを組み立てます。
 
レッスン終了後、玄関のドアを閉めて生徒さんの姿が見えなくなるときまで、生徒さんの身体で感じているであろう感覚は、私自身の身体で感じています。
 
なので、レッスン中の生徒さん身体の統御は私の身体を通して行われる感じです。
だから生徒さんにとっては、いつもと違う身体の使い方をすることになります。
 
レッスン中は私が生徒さんの身体に憑依しようとしているとも言えるかもしれません。「その体験をしているうちに自分自身でそれができるように掴んでね」と思いながらレッスンしています。
 
そんな感じで、どこからが私でどこからが生徒さんかわからない感覚になるのがレッスンだと思っています。
 
これは多分、職人技みたいなものなので、そういう状態になるには、色んな知識や技術が必要です。
 
まずは言語が必要です。
言語を使うには、動きに関わる骨と筋肉と靭帯の解剖学の知識が最低限必要です。そしてその専門用語を使って動きを言語化する訓練をします。
 
その動作に対して的確な言葉で言語化することができないと、今自分がどう動いているのかを明確に認識することができません。認識できないものは理解できないので、人に教えることは不可能です。
 
私は実は口下手なので専門外の話をするのは本当に下手くそなのですが、専門分野だけは即興ラップ並みに言葉が出てきます。
 
さらにレッスンでは生徒に意識を向けてほしい箇所を流れの中で適切な圧力で触れていくので、即興演奏的なものもやってます。
 
生徒さんのガチャガチャになっていた身体をほぐし(解体し)繰り返しの動作の中でまとめあげていくような感じもあります。なので時には生徒さんの意識ではなく、生徒さんの身体とセッションしている感覚になるときもあります。
 
書きすぎました。
仕事を通して職人技術が磨かれていく人生って、結構ステキですよ。