思い込みの世界から抜け出す鍵は”感じること”(感度の回復)

私は人の骨をその人が動かしたことがない領域へと動かします。
〈骨を矯正する〉とはそういうことです。
カイロプラクティックの技術のひとつです。
 
  
手の感触で慢性的な状態か、急性的な状態か、どの程度ズレているか、どれくらい他の関節に影響を与えているか、痛みの種類など、あらゆることを感じています。

私の施術を受けている人は、
場所によっては見た目にも、体感としても、
自分の骨が見たことのない動きをしたり
感じたことのない体感を感じます。
 
色々な刺激によって、その人の身体は一気に熱くなります。
 
一方私の感覚は、多くの場合、自信満々です。
 
「この骨をこの方向へ、この圧力で、この角度で動かすと、ここがこうなって、連動してあそこが動き出し、毛細血管にまで血が流れるはずだ」
 
そういう〈手応え〉を感じながら、自分の身体で相手の身体を感じて触っています。
 
それは相手の身体とコミュニケーションが取れている状態です。
では、相手の身体とコミュニケーションが取れていない状態とはどういう状態でしょうか。
 
それは相手の身体を感じて施すのではなく、自分の世界に閉じこもり、自分の思い込みの中で相手の身体を触っている状態です。簡単に言うと、マニュアル通りに(教わった通りに)相手の身体を触ると言う状態です。これは相手の身体を自分の身体に映すという視座が抜けています。
 
これは、理学療法士や柔道整復師や鍼灸師から、パーソナルトレーナーまでを含めて起こり得ます。
 
多くの技術はマニュアル化されています。そして、マニュアル通りに、教わった通りにできる人が試験に合格します。でもそうすると、マニュアル通りにやることで頭がいっぱいになり、相手の身体を感じて(そして道具となる自分の身体の特徴を熟知した上で)”調整する”という視座がごっそり抜けたままプロになる人も出てきます。
 
多くの場合、現場で経験を積みながら、その違いに気づき、改善していきます。
でも実際のところは、その視座がないまま活動している人も多いでしょう。
 
相手の身体を感じずに自分の思い込みの世界から相手の身体を触ると、見誤り、最悪の場合、相手の身体を逆に故障させる結果を招くこともあります。
 
これはコミュニケーション全般に通用する事であり、心の通った対話、ダンスはもちろん、セックスにも通用します。
 
相手の心の中にダイブしてどこからが自分でどこからが相手かわからない状態になるセックスと、「このテクニックをやれば相手は気持ちいいはずだ」と自分の中に閉じた世界からセックスをするケースと。(前者がセックスであり、後者は二人オナニーと言えます)
 
コロナ禍でなぜダンスや演劇、ライブハウスなどのアーティストたちが悲鳴を上げているのか。それらは観客があっての表現だからです。表現者は自己陶酔したオナニー的な表現をしたいのではなく、そこにいる人や時空にフュージョンした表現をするのが前提だからです。
 
テクニックとは手段です。
でもその手段が目的化すると、フュージョンが遠ざかるのだと思います。
 
音楽やダンス、ここ最近ではヨガやピラティス業界までも、最初はフュージョンのためにあったものが、やがてジャンル化とともにテック化が進み、テクニックがある人が優秀とされ、結果、昔はあった共通感覚が消え、バラバラになる(つながれない)という傾向があります。
 
(エクササイズとしてのヨガはそもそも宗教的実践である本来のヨーガとは似て非なるものではありますが、”つなぐ”という意味のヨガがテック化するのは、本当に本末転倒であり、ヨーガをわかっていないと言えるでしょう)
 
テクニックがすごい人がすごい人であるとは限りません。目的はそれこそ”つなぐ”こと。自分の心身、目の前の存在、過去の記憶、今感じていること、時空、万物とフュージョンすることであり、テクニックはあくまでも手段であるということを忘れてはいけないと思います。
 
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思い込みの世界から抜け出す鍵は、感じること
そして感じるには、自分の身体が必要です。
シュミレーションだけで思い込みから完全に抜けることは不可能です。
 
自分の身体を通して相手をみる。
私自身がこの仕事を通して得たこの感覚を、興味のある人に伝えていきたいです。
人の身体を整え、軌道修正し、望む方へと動かしていく過程そのものが、ただただ面白いのです。
 
俗世間の価値観から離れて、外にある未規定な世界を感じることもできます。
だから振り回されずに生きていけるのかもしれません。