きっかけと効果と動機と幻想

運動とか身体づくりをするときって、何かしらきっかけがあると思います。

腰や膝、首肩を痛めてしまったり
身体の不調がずっと続いていたり
小さい頃からずっと身体にコンプレックスを感じていたり、など。
 
 
(ダンサーやアスリートなど舞台や大会がある条件の人は少し横に置いておいて)
 
とにかくよりよく生きていくために、自分の身体に対して何かしら対処すべき状態になるから行動に移すわけです。
 
それとは別に、「なぜ身体づくりをするのか」「なぜ運動をするのか」という動機の部分があります。
 
そこは最初なかなか見えてこないところだとは思いますが、そこを自分自身が理解しているかどうかで、運動や身体づくりに対する構えが決まるので大事な部分だと思います。
 
でもこれがなかなか、私自身もここでうまく説明することができません。一人一人がそういう話をするタイミングになったときに投げかける話である気がします。前提となる文脈が必要なのかもしれません。
 
あなたはなぜ運動するのか。
何のために身体づくりをするのか。
 
運動不足解消のため
健康維持のため/長く健康でいるため
ダイエットのため
ストレスを発散するため
コンプレックスを解消するため
 
まずこのようなことが思い浮かぶかもしれません。が、これらは表層的なものだと私は思います。(これらはむしろ運動によって期待できる効果なのかなとも思います)
 
私は若干、アナーキーな考え方の人間なので、この社会をうまく生きるために自分の身体の世話をするのだとしたら、それは社会の奴隷になっているみたいなので、そういう動機じゃないんですね。
 
例えば、「若々しくいたい」というのは「若い方が価値がある」という社会が作り出した前提を鵜呑みにして生まれた願望なのかもしれません。それだと社会や世間から承認されるために若くいようとすることなり、その道具として身体が使われていると言えるかもしれません。
 
私は、そんなの、身体さんに失礼だわ…と、思ってしまうのです。
 
私の動機は何度か書いていますが、「動くこと自体が目的であり、手段である」これが私の動機です。
 
動くこと自体の喜びのために動いています。
 
だから生徒さんを指導する中での私の一番の目的は、「動くことの喜びを少しでも感じてもらうこと」です。
 
私の元には不調を改善したい方や運動嫌いな方が結構来てくださいます。(私の存在がそういう人の味方になれていることは私にとって嬉しいことです。)
 
私と真逆の状態の人が来てくださるわけです。
そうすると、私という存在と比較して、身体に対して努力しない自分に罪悪感を感じてしまう方もいるのですが、そういうとき私は徹底的に、私の価値観のほうではなく、生徒さんの在り方を擁護します。
 
例えば、「先生に言われたことをやる(言われたことすらできない)」ことがその人にとっての身体づくりの目的のはずがありません。
 
そして私は「あなたは間違っている、私の考えが正しい」ということを言いたいのでは決してありません。
 
その人にとっての価値観や動機があるはずです。そこを抑えつけて前に進むことはできないと私は考えます。だから、仮に「運動なんて本当は面倒だししたくない」と心の底から思っていることに気付いたなら、その思いを大切にして、その思いに沿った手段を使うべきだと思うのです。
 
「サプリや漢方、薬、食事療法で快活な身体をつくる」とか、「着圧ソックスでむくみをとり電動腹筋マシンで引き締める」とか、「整体マッサージで痛みをとる」とか、運動以外の方法はたくさんあります。
 
でももしそれで「うーん、そういう手段を使いたい訳じゃないんだよな」と思ったなら、まだ気付いていない動機や価値観があなたの中にあるはずです。
 
あなたにとって、身体とはどういう存在なのか。
あなたは身体をどうしたいのか。
 
そういうことを深く理解していくことって、あらゆる幻想を生み出す社会に絡め取られずに生きていく上で大事だと思います。

・・
 
追伸、

先日の公式メールマガジンにて、月100時間超えの自主トレをする強者の話を書きましたが、来てくださった生徒さんより「あれを読んでプレッシャーを感じました(汗)」という感想をいただきました。そんな風に捉えないでくださいね。良い影響として受けてください。今回の記事にも関連する話ですが、あなたにとって身体とはどういう存在で、あなたはどうしたいのか、そのために私という存在を活用してください。そしてあなた自身が自分の人生の責任を負ってください。