傷ついて元に戻れないところから、新しい世界は広がる

最近、全然更新していませんでしたが、先日一つの山を越えたので気分は爽快です。

書きたいことはあるけど、時間が瞬く間に過ぎてゆきます。
 

(写真も撮ってないので黒髪以前の私を無駄に載せています。やっぱり明るい方がいいな)
 
私のパーソナルレッスンは90分なので、生徒さんと本当にいろんなお話しします。

あでも茶飲み友達に17歳の男子もいるので結構幅広いのが楽しいです。

 
人生いろいろ。ステージもいろいろ。
 
私はネガティブな状態を即、悪いことだとは考えません。
 
傷ついたり、落ち込んだり、不安になったり、取り乱したり、恥をかいたりする中で、美しさが生まれてきたと思うからです。
 
今日は漠然とした不安を抱えている40代の生徒さんがいらしたので、死生観についていろいろとお話ししました。
 
昔はもっと死が身近にあったけど、今は「健康美が善」と手放しで受け入れられるようになり、死が遠ざかっていると思います。
 
自分が老いて死ぬことを、本当はもっと気軽に語るべきと、私は思います。
 
気軽に語る場がもっとあればいいのになと、思います。
 
死について話すことは、人間として普通のことだと思います。
死をしっかりと見るから、生が輝くのではないかと思います。
死んだように生きるのは、誰だってつらいはず。
 
私は(原始)仏教の考え方が好きなのですが、曼荼羅の意味は、「どこをとっても同じ形をしている」というような意味合いがあるそうです。
 
「自分のやっていることの、手段と目的が同じ形をしている」
 
「人生の最終目標と手段が同じ形をしている」
 
そういう生き方をしています。
 
つまり、今の私の在り方がすでに最終目標と同じ形をしているので、いつ死んでもよいという生き方をしています。
 
何か人生の危機が訪れたときにアタフタして、喉元過ぎればまた元のさやに戻る人もいるけれど、私は小さな危機の訪れを福音と捉え、見たくないものをガン見して、その上で生きることを選び続けています。
 
自分の生を輝かせるって、そういうことだと思っています。
 
うまくいくから幸せなのではない。
 
傷ついて元に戻れないところから、新しい世界は広がる。
 
そういうふうに世界をみる仲間が、他にもいたら嬉しいです。