求めているものを教えてくれるもの

私を日常から切り離してくれる作品。
シーロ・ゲーラ監督『彷徨える河』
 
美しいアマゾンの奥深いジャングル。
先住民族の美しいシャーマン、カラマカテ。
最後に映し出される「言語以前の」美しい夢。
 
 
カラマカテの元に訪れた、ドイツ民俗学者テオと、数十年後に、テオの手記を元にカラマカテの元に訪れた、アメリカの植物学者エヴァンとの旅が、私たちに先住民の時空を示してくれる。
 
時間や空間だけでなく、何もかも、私たちとは違う世界。
 
同じこの地球に生きているはずなのに、何もかも違う。
 
私たちは、社会の中でいかに幻想を見て生きているのかがわかる。
 
シーロ・ゲーラ監督は、実在するテオとエヴァンの手記を元に、先住民の視点からこの作品を作られた。カラマカテは聡明で、誇り高き勇者のよう。カラマカテの意味は「試みる者」なのだそう。
 
若いカラマカテを演じるニルビオ・トーレスはCubeo民族のグループで、バナナなどの栽培をする生活の中で、あの肉体美になったようですが、映画の中の彼は本当に美しい。
 

 
この作品はもう10回以上は観ているけれど、先住民の気持ちがよく分からないシーンが度々出てくる。
 
テオに出会うまで、カラマカテはなぜ一人で生きていたのか。
(シャーマンの力を温存し続け、伝承するためだったのかもしれない)
 
テオがドイツにいる奥さんに向けて書く愛の手紙をなぜ笑うのか。
 
テオはなぜカラマカテを信じれなかったのか。
 
カラマカテはなぜテオを助けなかったのか。
 
お互い同じ(言語以前の)夢を見て、カラマカテは夢でジャガーから「テオを守れ」と言われたのに。
 
一方、エヴァンは本当はスパイだったのに、なぜ荷物を捨てて、カラマカテを信じたのか。(これは、アマゾンで息絶えたテオの魂がエヴァンに働きかけたのかもしれない。カラマカテにとって、テオとエヴァンは同じ人間だったから)
 
そして、老人になったカラマカテも、なぜエヴァンに、最も大切な最後の伝承を授けたのか。(カラマカテもまた、旅の中で記憶を取り戻し、何が重要なのかを理解し、同じ失敗はしないと思ったのかもしれない)
 
・・
 
この作品は、文明以前の回帰を訴えている作品ではない。
 
ある先住民族からテオのコンパスを盗られた時、「彼らの生活は風や星の位置に基づく。コンパスに頼ればその知恵は消える」と、テオが懸念する。
 
そんなテオにカラマカテは「学びを禁ずるのか。人から知識欲を奪うと?白人にはわからないか」という。
 
それは、私たちが「先住民はこうあるべき」と、勝手に思い込んでいることを示してくれている。
 
私たちが思う「先住民のあり方」を守ってあげようとすることは、先住民にとっては、大きなお世話ということだ。彼らの生活様式を保護したところで、先住民の幸せが確保される訳ではない。私たちの自分よがりな視座を、カラマカテは映画の中で思いっきりバカにしてくれている。
 
当時(19世紀末~20世紀初頭・第一次世界大戦時期)ゴムの搾取のために、アマゾンを白人たちに荒らされ、先住民の大虐殺があり、バラバラになった。そして、神聖なジャングルに文明が入ったことによって、それまで当たり前にあった力が奪われた。
 
今ではカラマカテのようなシャーマンは存在しないのだそう。
 
人口が過密にならず、ジャングルを汚染することもなく、資源を破壊することもなく、同じ場所に1万年間、生き続けている人々と、それが一つもできていない私たち。どちらが賢いでしょう。
 
そして最も悲しいことは、悲劇は今まさにリアルタイムに進んでいるということ。
 
牧場の開拓などのために、アマゾンのあちこちで、文明人たちによる意図的な森林火災が起きています。
 
これは、日本にとって他人事の話ではなく、日本は古くから、アマゾンの開発に力を貸してきているのだそうです。なぜ力を貸すのか。その理由の一つは、日本人が大豆を求めるから。この森林火災に対して、他の先進各国は懸念を示し、具体的な行動を取っている中、日本政府は何も懸念を示していません。
 
参考:
アマゾンが燃えている本当の理由を知っていますか

印鑰智哉氏のブログ

NASAによる衛星写真。火災が一目瞭然にわかるショックな画像

 
森を燃やせば、二度と元に戻らない。
たくさんの生態系が壊れる。
先住民たちの居場所がどんどん奪われていく。
そして未来の私たちの子孫にも、全部つけが回ってしまう。
 
そんなどうしようもない人間界(社会)の中で、どう生きていけばいいのか。
カラマカテが示してくれたこと(次世代の地球のために最も大切な知恵を託す)を元に、何度も考え続けないといけないです。
 
社会の外側に世界があるということを、忘れてはいけない。
社会の中の価値観や常識が全てではないということを、忘れてはいけない。
忘れたならそれは、『彷徨える河』の中の、”チュジャチャキ”と同じこと。