自分のことも、人のことも、小さく見積もるな

人間を過小評価してはいけない。
と、最近思います。


 
人っていうのはこんなもんだ。
人生っていうのはこんなもんだ。
社会っていうのはこんなもんだ。
この人には無理だろう。
 
と、人が人を勝手に小さいほうへ評価することって、何の得があるのだろう。
 
相手に期待しなくて済むから?
人間がしょぼいのは社会やシステムのせい?
 
違う。人間はそんなにしょぼくない。
一人一人のパワーは、その小さな身体からは計り知れないほどのものがある。
「君は頭悪いからそういうのが見えてない夢見る夢子ちゃんなんだよ」
と言われても、そんなお前の方がアホだから見えてないんだよと言いたい。
 
私はそもそも人の可能性を信じてしまう人だった。
いくら「それは無理だよ」と言われても、やっぱり最終的には、可能性の方を信じてしまう。
 
一人一人の身体も同じ。
私は生徒よりも生徒の身体の可能性を信じている。
あなたがまだ知らない、あなたの身体の可能性が、私には見えるから。
だから、あなたが諦めたとしても、私はあなたの身体のことを諦めてない。
そういうつもりで、生徒の身体を預かっている。
 
そう思って、一人で心の炎を燃やしていたら、
会ったことのない生徒さんのお姉さんまで、私の情熱を理解してくれるなんてこともある。笑
その人が周波数を合わせれば、情熱は色をもって感じることができる。
 
夏嶋先生も、平先生も、私の何気ないことを「すごい」と言ってくれた。
私に新しい視点と可能性を与えてくれた。
彼らの凄いところはそこ。
誰も評価していないし、誰も気づけないことにいち早く気づいて、ボソッと本人に伝えてくれる。
 
私は、自分が尊敬している人から褒められたことは、超、鵜呑みにする。200%受け入れる。
 
「私にはそんな可能性があるんだ。よしっ!」
となって、その気になって、上に飛んでいってしまう。
そして、実際に上にたどり着いてしまう。
過小評価されていたなら、絶対にたどり着かない場所に。
 
これのどこが間違っているんだ?
間違っていないなら、人を過小評価することは
何のメリットもないじゃないってことじゃないか。
 
そんなことが叫びたくなった、夜でした。