動きの体験を比較しながら好きに語る

私が興味を持っている動きの体験は、バレエとピラティスと舞踏です。 
 
バレエと舞踏は対極的に感じている人も多いと思うので、どちらも好きだと思う私を不思議に思う人もいるかもしれません。

 
  
体験した私としては、底での繋がりなのか、果てでの繋がりなのかわからないけれど、そういう繋がりを感じているので、今のところ対局であるかどうかはどうでもいいことです。
 
そして私はいつもどうしても「動き」の視座からそれらを見てしまうので、バレエも舞踊として好きというより、バレエの動きそのものが好きという感覚です。なので舞台を見たことは2度くらいしかありません。どちらかというと、舞台よりもダンサーの練習姿をみたいです。(←断然)
 
さて、そんな私がそれぞれからどんな体験をしているのか、少し書き出してみます。
 
●バレエの稽古をしているときの感覚
 
・心地よい疲労/心地よいエネルギー消費
・チャレンジと限界
・成長/心地よい筋肉痛/破壊と創造/軽い/スムーズに動く/流れる/循環する/整う/力が湧く/快便
 
私の死生観に「ただ命を大切に全部使い切りたい」という価値観があるのですが、バレエは私にとって、それを実現してくれるものの一つです。
 
最大限のチャレンジとともに、限界を感じることができる。
 
と言っても実際は全然最大に達していないと思いますが、日常生活では達しないところへ行けるのです。そしてそれは私にとって大切な活力になっています。
 
●ピラティスをしているときの感覚
 
・バレエと比べて内観的
・バレエとは違うエリアの可能性の開拓
・腹の底から身体を動かす
・細胞一つ一つを総動員して身体を動かす
・(インナーマッスルの正確なコントロールによって)骨を正しい位置に整える/つっかかりがなくなる
・コール&レスポンス/身体との対話/コミュニケーション/反応を感じとる
・身体との関係性によって生じる世界が立ち上がる
・精神世界につながる扉の前に立てる感じ
 
私はピラティスを学んだことによって、身体とのコミュニケーション能力がぐんと上がったと思います。
 
日々身体が変化していることは明確に感じています。より回復と代謝を実感できるようになりました。
 
そして、ピラティスを学んだことが舞踏の理解にも影響しているなと感じます。
  


 
●舞踏を体験したときの感覚
 
・精神世界の中にある/精神世界の中から身体を動かす
・何が起きているのか自分でもよくわからない/変性意識状態/気持ちいい
・ただただ一番切望しているものが浮上したような
・ダンスというより儀礼/異世界
 
舞踏は経験値が最も少ないのでまだまだよくわからないものなのですが、ただ、舞踏を学んだことによって、ピラティスやバレエの質が上がった気がします。内面的/内発的なものを、より動きに落とし込めるようになったような。「空間にあるすべてのものを受容して動く」というモードにすぐになれるようになった感じです。
 
舞踏は〈ただ歩く〉とか〈座る〉というような動きから稽古をするので、それがピラティスの動きであっても良いのだと思います。ただ、ピラティスは身体操作に明確なルールがあり、舞踏は逆にそういうものは全くないので、ピラティスの稽古としては成立しても、舞踏の稽古としては成立しないのかなと思います。
 
・・
 
私の中ではこんなふうに、
バレエとピラティスと舞踏はつながり、混ざり合っています。
 
ちなみに、バレエの成り立ちをみれば、もともとは王権が人々を統制したり、支配するための手段の一つとして誕生していて、舞踏はどちらかというと「過去の歴史と身体を切り離す手段」として成立しているそうですから、文明社会の役割としては真逆といえます。
 
私が心を打たれるウリヤーナ・ロパート・キナの『瀕死の白鳥』の舞は言ってみれば、これまでの”凄まじい統制の訓練”の中からにじみ出て溢れ出した〈何か/何者か〉という感じで、自我がほとんどなくなり(人間じゃなくなり)死にゆく白鳥とほとんど同じに見えて、舞踏と同じようなものを感じます。
 

 
そういうものをみると、「私が知っている私」なんて、これっぽっちしかないんだろうなと思います。
 
ということで、好きに語りました!おわり。