老眼への道のりはだいぶ前からスタートしている

先日、ふとiPhoneのアダプターに書いてある電圧を確認しようとしてみたところ、ちょっと衝撃的なことがありました。文字が見えないのです。文字が小さすぎて書いてある数字が見えないので写メを撮り、拡大して確認する事態になりました。
 

 
「え、まだ38歳だし、どちらかというと近視&乱視だけど・・・もしや老眼!?」
 
(しかしさっき改めて見てみると、今日は一応見えました)
(少しドライアイの傾向があるので、目の状態が悪いと視力が落ちるのだとは思います)
(いずれにしても老眼の人の気持ちがわかりました。遠くに引き離した方が見える)
 
(追記:実は15歳と25歳の段階ですでに調節力に差がで始めるのだそうです。眼科で働いていた友人より)
 
私は日頃から自分の身体の変化にとても敏感なので、普通は見逃すであろう小さな変化にも気づいてしまうところがあります。年齢を重ねていく中で、こういう小さな変化がこんな年齢から始まっているのかということに気づくたびに、世間一般的な身体や健康のイメージと実際はかけ離れているなと思うこともよくあります。
 
また少し前にパナソニック補聴器のウェブサイトでモスキート音を使った「聞こえチェック」というのを見つけてやってみたところ、30代が聞こえませんでした。(PCで試すと聞こえましたが、スマホでやると全然聞こえません。)
 

 
ちなみに68歳になったばかりの母は、60代(10,000ヘルツ)がかすかに聞こえ、50代以下は全く聞こえないそうです。私にとっては60代はうるさすぎる音ですが、母にとってはかすかに聞こえる音であるというのは、当たり前だけど不思議にも思えて、一人一人見えている世界が違うに決まっているよねとも感じます。
 
そうやって着実に身体の機能が衰えているということをデイリーに実感する日々は面白いです。「気づいたら衰えていた」とか「検査を受けて自覚した」というパターンが多いと思いますが、日々身体を観察していると、衰えていくその瞬間に気づくということもあり、それが世間で認知されているより相当早い段階から起きているのだなというのを知るのは面白いことです。
 
バレエの稽古をすると翌日すごい筋肉痛になります。体重は変化していなくても、ボディラインは変化します。そしてそのうち筋肉痛が徐々になくなり、そのまま数日何も身体を動かしていなかったり活動量に対して食べる量が多い日が続くと、今度は逆に身体は萎えてきます。そういった往還的な変化や、見えない/聞こえないという不可逆的な衰えの変化と、経験値によって洗練されていく変化とがあり、少しずつ少しずつ、みんなの身体の中で起きています。