いじめられたらどうしたらいいか

学校によってはもう始まっているところもあるようですが、この時期は学校生活の再開によって自殺してしまう子供たちが増える時期らしいですね。また、自殺とまではいかなくても、苦しさをなんとかかんとかしのぎながら、全く楽しくない時間を過ごすために自分の人生を費やしている子供たちもたくさんいることと思います。
 

「いじめ」と一言で言ってもその実態はさまざまなものがありますが、私も色々といじめられたことがある人間です。でも今はすっかり大人になって、こうやって立派に元気に生きています。どうやってクリアしてきたかちょっと書いてみようと思います。

(※念の為、これはあくまでも私の記憶の話なので、そういうものとして読んでくださいね)
 
私は小学生のころに2回転校しています。
 
1回目は隣町への引っ越しだったため、文化がほとんど変わらなかったのと、1年しかいなかったのでほとんどいい思い出しかありません。
 
2回目は隣の市に引っ越ししたのですが、都会から田舎に引っ越ししたと言えます。
じゃんけんの仕方や外遊びの名前、喋り方も微妙に違い、今から振り返ると少し馴染めずにいました。
 
私は運動大好きなおてんば娘で友達はすぐできます。
でも田舎ではそれが目立ちすぎてしまい、交換日記をしていたくらい仲の良かった女の子がクラスのリーダー的存在として「私を無視するように」と指示を出したようで、6年生の2学期の始まりとともに、クラスの女子全員が口を聞いてくれなくなりました。夏休み前までは普通にしゃべっていたので、その落差には驚きました。
 
私の場合は、すぐ母に相談したと思います。
 
家庭科のイベント的な授業か何かで、リーダーと同じチームになってしまったのを母に話すと、母はその日休ませてくれて、ゴッホの絵を見に美術館へ行った思い出があります。
 
3学期くらいに担任の先生がみんなと話す場を設けて、リーダー以外は和解的ムードになったと思います。
  
「担任の先生が桃子ちゃんは優しい子だと褒めていたよ」と母が元気づけてくれたことも覚えています。
 
でも何よりもっとも幸いだったのは、いじめに関わった人間のほぼ全員が、中学校の区域が異なっていたので縁が切れたことです。
 
さきほど「和解的ムードになった」と書きましたが、それはお別れまで残り少ない日数を過ごすために体裁を保っただけで、そんなことで一度壊れたものが回復するはずはありません。
 
私があのとき気づいたことは「周りは友達という名の他人だらけである」ということです。いじめられたときに口を聞いてくれた男の子や近所に住んでた他のクラスの女の子のような、まともな人間はごくわずかなんだなということを小学6年生で気づきました。
 
正直、リーダーの子に対する思いはあまりありません。
あの子はのちに中学校でいじめられたと風のウワサで聞きましたが、いじめる子にはそれなりの理由があるはずで、どこかかわいそうだとさえ思う気持ちがなかったわけではありません。
 
私がもっとも軽蔑したのは、リーダーに同調した人間です。
 
自分の内側にある良心を守れない空っぽな存在なのだろうと思いました。
今もその気持ちは変わりません。
 
そのうち、同じ中学校に進んだ子が平気で話しかけてきたことがありましたが、私には自分がやったことをまるでなかったかのように話しかけてきたように思えたので、私はあまり話かけてこないよう、同じ人間扱いをしない態度を取ったと思います。
 
私はこの辺がものすごく気がきついかもしれません。私は〈みんな〉に仲良くしてほしいとか、認めて欲しいからみんなに合わせるという選択には至ったことがなく、その逆で筋を通さない人間を軽蔑しちゃうところがあります。
 
でも、いじめられた側の人間が〈みんな〉に合わせる必要はないはずです。
 
その〈みんな〉が尊敬/尊重できる人たちならもちろんついて行こうと思いますが、軽蔑に値する〈みんな〉に自分を合わせる必要がどこにあるのか?という話です。それをしてしまうとどんどん自分の人生がつまらなくなるだけなのだから、そこは思い切って舵を切るべきというのが私の考えです。つまり、縁を切って新しい縁をつなぐということです。
 
これは「わがままに生きろ」という意味ではありません。
色んな人とゆるやかにつながりながら生きる努力をするのは前提です。
私もその都度何度も反省し、人との関わり方を見直し続けています。
 
それでも理不尽なことは起きます。
全く納得がいかないことは大人になっても変わらず起きます。
 
そのときに(内心は)軽蔑する人たちに合わせるという選択をするのが一番良くないと思います。
 
あなたの魅力がくすんでしまいます。
 
逆にそのときに舵を切れば、魅力が輝く機会に転じると思います。
振り返ると、私が「人の気持ちをもっと考えなきゃ」と思ったのはいじめられたことがきっかけです。あれがなければ今の私はありません。「災い転じて福となす」です。
 
「どうしたらいじめられないか」と考えてしまうと「いつも笑顔でいよう」とか「人に愛想よくしよう」とかいう変な答えがでてきてしまいますから、そういうことじゃなくて、「いじめが生まれても生まれなくても、あなたはどうありたいか」ということに自分なりの信念を持つことが良いのではないかと思います。
 
最後に、私の尊敬するお二人の学者さんからのメッセージをシェアしておきます。
(学者さんの言葉って、ほんとう、まともだなぁ!自分と比べて 笑)
 
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