「田中誠司の舞踏」に出会えて

私は5/2から3日間、誠司さんの舞踏合宿に参加した。

この合宿では最後にイニシエーションと呼ばれる、人前で踊る発表が行われる。

私はそこで文字通り、通過儀礼を体験した。

私の人生にもたらされたこの一連の体験を通して、私は一体何に出会えたのか、そのことを書き残しておこうと思う。

誠司さんの舞踏に出会わせてくれた、それまでのすべてのご縁に心から感謝申し上げます。
 
 
●田中誠司の舞踏

舞踏とは、土方巽、大野一雄を中心に生み出された、戦後の日本を代表する前衛的な舞踊芸術である。(舞踏家 田中誠司公式webサイトより)誠司さんは大野一雄の息子である大野慶人に師事されている。

現在では同じ「舞踏」という言葉を使って、様々な舞踊が存在している。だから一口で舞踏といっても、その中身は全然違うものなのだそうだ。舞踏は明確に定義できる形がつくれない舞踊であるため、そうなってしまうのは仕方のないことなのだろうと思う。だから私は舞踏を学んだということではなく〈田中誠司の舞踏〉を学んだのである。

田中誠司の舞踏がどういうものなのかということは、誠司さんのwebサイトなどに書き綴られている言葉から感じ取るのが一番良いと思うので、私は私が感じたことのみを書く。

●初めての稽古を受けるまで

誠司さんのことを知ったのは2019年の夏ごろ。奈良で稽古をされているということで、京都の実家に帰省したタイミングですぐに行けるだろうと思っていた。

しかしそのころ私の父が癌を患い最期のときを過ごしていた。10月に行われたワークショップにも参加したかったが、その数日前に父が他界し、台風にも見舞われて断念した。その後も何度も行こうとするけれど行けないということが続き、不思議な感覚だった。

●死と新しい出会い

年が明け2020年の1月、東京で2日間ワークショップが行われるということでやっと参加することができた。そのワークショップの数日前、誠司さんの師匠である大野慶人先生が他界され、ワークショップの日は葬儀が執り行われる日でもあった。誠司さんはワークショップの前に慶人先生の元に会いに行き最期のお別れをされたそうで、葬儀には参加せず、私たちに舞踏のワークショップをしてくださった。ワークショップでは参加者たちで黙祷をした。慶人先生とは直に出会ってはいないけれど、私にとってもご縁のある方であるということは間違いなかった。そういう、一つの死と新たな出会いが起きた特別な日となった。

●初めての稽古

初めての稽古はとても難しいものだった。私は目に見えない不確かな何かを捉えることに苦手意識がある。どうもそういうものは自分の単なる希望的観測による幻想なのではないかという疑いがかけられるからである。現にそういう体験をこれまで何度もしてきた。

イニシエーションを終えた今の私から振り返ると、やはり全然わかっていなかったと言える。それはつまり「単なる希望的観測による幻想」と感じている私の感覚があながち間違いではなかったとも言える。

しかしだからといって、誠司さんの舞踏への疑いは何一つなかった。私は私の感性を信頼している。それに私はすぐに掴めないものが好きだ。なぜか誠司さんの舞踏に惹かれる。理解したい。そういう気持ちは何も変わらなかった。

それに何も掴めなかったというわけではなく、私は私でもう18年もの間、動きの研究をしている人間なのだ。これまでの営みによる体験質が膨大にある。誠司さんの動きから感じるものや、誠司さんから出てくる言葉から共鳴するものはたくさんあった。だから私はすぐさま自分のレッスンや自分の稽古(身体づくり)に応用していった。

●限りを尽くす/誠実に動く/丁寧に動く

これらのキーワードが私が誠司さんの舞踏から学び取れた最も大切な言葉の一つだ。誠実に動くという言葉によって新たな発見があり、私が扱う動作の領域からダンスに変容することも可能なのだということも感じた。それ以後私はレッスンの指導で「命がけのプリエ」といって見本を見せたり、生徒に動いてもらうようにしている。
 

(稽古の一幕)

●舞踏合宿2021

初めての稽古のあと世の中はすっかりコロナ禍になり、3度目の緊急事態宣言が出されていた。でも私はきっと合宿を受けることができるだろうと思っていた。

今から思えば、3月と4月に1度ずつひっそりと実施した〈吉方取り〉という儀式をしたのがよかったのかもしれない。これは私の恩人である安倍勇作さんに教えてもらっているやり方で、7年ぶりに行った。7年前も吉方取りを行ったあと、私の人生はガラリと変わった。(というか、7年前は吉方取りを行なっているまさにその日に劇的な変化が起きたのだった)

私は仕事柄、本来ならゴールデンウィークは出張し連日レッスンを行う。でもコロナ禍なので最初から諦めていた。だから私にとっては、舞踏合宿を受ける最高のタイミングだった。(合宿終了後、現在まで感染の傾向は見られない)

ここから、合宿で体験したことを時系列で振り返りながら出会ったキーワードをもとに書き綴っていく。ただし、具体的な内容については言語化が難しいので、きちんと説明できないことも含まれる。また、これはあくまでも私が合宿を通して学び感じたことであり、舞踏を書き綴るものかどうかはわからない。

●触れにいく/すでに触れているもの

私たちの身体はすでに光に触れている。音に触れている。匂いに触れている。量子に触れている。そしてそれらはたとえ静寂の中であっても激しく変化しているのだ。それを手の指先一本一本で感じとる。肩で受けとる。背中で受けとる。お腹で受容する。首すじで受容する。足裏で受容する。足の甲で受容する。そうやってどんどん、全身のすべてでとりこぼすことなく受容する。舞踏はそこを目指すものであり、それが基礎となる。
 

(稽古の一幕)

●実と虚/実数と虚数=複素数

舞踏は実体や実質などの実部だけでなく、虚数的な範疇も扱う複素数的な舞踊である。魑魅魍魎や地球の有機物や無機物ではないもの、私たちが寝ている間に見る夢の世界や拡張現実なども、舞踏の舞に立ち現れる。

●ゼロとイチの間/スタートはゼロじゃない/ゼロを探しにいく

誠実な動きとは、ゼロを捉える動きとも言える。しかし私たちは普段からその繊細な領域をすっとばし、7とか8とか、あるいは10とか20という領域をまとめておおざっぱに動いている。舞踏はゼロとイチの間で行われる動きである。「間」なので、1には到達しない領域のことである。だから舞踏を舞うには、まず自分自身の感覚で限りなくゼロに近いと思うところから始め、しかしそこはゼロじゃないということを理解し、引き算をしてゼロを探しにいくことから始めなければならない。それが稽古である。

●空間が自分を動かしてくれる

ゼロを探しにいき、動きの中でゼロに出会い続けることができると、空間が自分を動かしてくれる状態にもなる。

●気持ちじゃない、動きだ

感情で踊るのが舞踏なのではない。それは自分の感情を単に発散する動きである。舞踏はむしろ感情と自分をかなり切り離したところに置き、動きにコミットすることが前提となる。ただし、感情をないがしろにするということではない。うねる感情を抑えなければいけないわけではなく、感情と動きを安直に直結させてはいけないということである。

●舞踏は観る人(観客)がいないと成立しない

舞踏は絶対に目を瞑って踊ってはいけない。なぜなら目を瞑ると自分の世界に浸ってしまうからだ。それは自己満足的なダンスであり、踊りを観てくれている観客を無視、または軽視した踊りになるからだ。舞踏の踊りは観てくれる人がいないと意味がない。

●まずはその形をしてみろ

すでに触れているものを取りこぼすことなく受容するには、自分の身体が受容できる形にならなければならない。例えば、胸を張って首をまっすぐに立てている姿勢では、受容したくてもうまくできないのだ。みぞおちや胸骨辺りをうずめるようにし、首は頷くような姿勢をとると自然と受容できる状態になっていく。舞踏は動きや形から稽古を積み理解していくこともできるのだ。

●DJ GOD

序盤の稽古では音を身体で聴く/音を身体で受容するということを意識して行なった。風で戸がゴンゴンと鳴る音、車が通る音、あらゆる生活音、子供達の声、町に流れるアナウンスの音、畳と足が擦れる音、呼吸の音、心臓の音、誠司さんの声、誠司さんが流す音楽、実体としては聴こえない音(赤ちゃんが生まれる鳴き声、ある命が尽きるときの周りの音、紛争地の銃撃音、雑踏の音)…今というこの瞬間に発している音のすべてを受容する。これらの音はDJ GOD(神)によるクラブミュージックなのである。神の音は私たちにすでに触れている。それをとりこぼさずに受容するのだ。

●GOD監督

神は様々な演出もしてくれる。例えば、音を身体で受容する稽古のときに、近所で日本共産党の演説が始まった。誠司さんが森の中の鳥の鳴き声がする音楽を流すと、近所の鳥たちがまるでそれに応えたかのように鳴き出す。おそらく鳥たちはごく自然に稽古場から流れるCDの音楽が聴こえているのだろう。イニシエーション中も、GOD監督による様々な演出がされた。

●イニシエーション前の私Ⅰ〈私も地球もこの宇宙のすべてはやがて死ぬ〉

私は日常的に遠いものに思いを馳せる傾向がある。毎日のように死生観について考える。宇宙はやがて死ぬ。その随分前に地球も死ぬ。私が宇宙に存在する時間なんて、宇宙にとってはほんの一瞬のまたたきだ。「この宇宙のすべてはやがてなくなるのに、なぜ生きているのだろう」ということをよく考えていた。

●イニシエーション前の私Ⅱ〈生きる喜びへの疑念〉

生きることは本当に喜ばしいことなのだろうか?であればなぜ人は権利を訴えるのだろうか。なぜ自死する人がいるのだろうか。先日、入管で亡くなったスリランカの女性の人生は喜ばしかったのだろうか?虐待死した子供の人生は喜ばしかったのだろうか?生きることは素晴らしいと手放しに肯定している人は、そういう陰を真正面から見ず、陽の部分ばかりをみて言っているだけではないだろうか?私個人の人生はとても恵まれていると思う。しかしそんな私ですら、生きることがしんどいと思うのなら、ほとんどの人がしんどいのではないだろうか。私は生きることの信頼を取り戻したいがために、すべての陰に目を向けている。陰をなかったかのように隠し、嘘をつきながら生きることができないからだ。

●イニシエーション前の私Ⅲ〈孤独/孤立〉

私はさみしさゆえに自分の意思や正しさや価値観を曲げて人に合わせることはしない人間である。そのため孤独になることはたくさんあるが、孤立することが死ぬほどの苦しみにはならない。孤立を恐れず新しい世界を探求する選択ができるからこそ、得られたことがたくさんある。

現在の私は経営者でもある。経営者は基本的に孤独だ。経営者の苦しみは経営者にしかわからない。従業員の人生において、加害者になる。それがどれだけ嫌なことかは、実際にその立場にならないとわからない。そもそもの立場が強いため、労働者を守る弁護士や法律はたくさんあるが、経営者を助ける弁護士や法律は少ない。

どんな状況であっても自分の飯代は自分で取りにいかなければ得られないし、学問的な領域や人間界では直接役立たない知を市場と融合させなければならない。そこで生まれる悩みは、人に相談できるものではないので、自分で考えるしかないのが基本だ。

しかし、きちんと後述するが、私は本来、仲間と呼べるグループの中で生きたいと思う気質なのだ。それがたとえ自分が出会ってしまった大切な使命を全うするために必要な孤独であったとしても、これ以上は限界だという気持ちは3年前くらいからある。でもイニシエーション後は、私は孤独を自ら選んでいたのだろうということもわかった。

●イニシエーション前の私Ⅳ〈クール〉

合宿中の稽古では、稽古の度に新しいものを順調に掴んで実践できていた。身体の統御は人一倍長けているので、すでに触れているものと自分の身体を繋げることは手応えを感じながらコツをつかめていた。しかし、深く潜れないのである。

合宿のメンバーは私を含めて7名。そのうち4名は、稽古中に何か自身の核心に触れたり、幸福感に打ち震えたりして、大量の涙を流していた。私はもともと内心は情熱的ではあるが、同時に冷静な人間なので感情的にはなれない。人前で泣いたことは家族の前であってもほとんどない。映画などで心から感動しても涙は出ない。さらに長年かけてきた訓練によって、心身のコントロールがかなりできるようになっているので、普段から風のない日の湖面のように感情が穏やかなのである。

誠司さんに「丁寧にすべてとトゥギャザーで深く潜って」といわれてやってみようとすると、「丁寧」と「トゥギャザー」はすぐできるけれど、まるで目に見えない浮き輪が私の心身についているかのように、深く潜ることだけできないのである。

しかしそのことを誠司さんに伝えると「深く潜っている状態と潜れていない状態にはとても差があるように感じるかもしれないけれど、実は1ミリ程度の差しかない。その差は紙一重なんです。」と答えられた。その時点では深さを全く掴めていない私にとっては「本当なのかな?」という心境だったが、それが後のイニシエーションで本当に本当だったということがわかる。

●シェアの奥深さ

合宿では1日の最後に濃密なシェアタイムがある。今日1日を振り返って、みんながおのおの感じたことを時間をかけて言葉にする。自己紹介など含めて一人一人発言する機会は合宿中、何度もあったが、一緒にいる時間が経つにつれて、シェアタイムが濃密なものとなっていった。

メンバーの一人が合宿終了後の道中でこんなことを言っていた。

「終盤になるにつれて人数が少なくなっている気がしてた。多分、最初はバラバラだったのが一つにまとまっていったから、人数が少ないと感じたんだと思う。」その通りだと思った。

序盤のシェアタイムは「あの人は表現が繊細ですごいな」「あの人は誠司さんがメモを取るくらいの言語化をしていてすごいな」などということが私の頭の中を巡っていた。私は書くのは好きだがパッと喋るのは苦手なので、全く大したことが言えていなかった。

またメンバー全体においても、一つにまとまっていない状態の時点では、「自分だけうまく掴めていない」というような幻想に囚われやすい傾向があった。人間は独りよがりだと、簡単に傷ついてしまうか弱さがあるのだ。

しかしイニシエーション後は全く違った。私たちは完全に一つの生命体になれたので、一人一人が自分の体験を全体に還元しようとする感じだった。「私の目はこれを捉えていたよ」「私の目にはこうだったよ」と球体の各部位の担当者が全体に報告する感じだ。私はみんなが捉えたものを聞きたくて仕方なかった。楽しくて仕方なかった。みんなは私の一部で、私はみんなの一部であったからだろう。だからそれはイニシエーション後から新横浜の駅でメンバーと完全に別れるまで続いた。それでも語りつくせなかった。

●イニシエーション当日に見た夢

兄が死ぬ夢を見た。それと、子供の頃に実家で飼っていた愛犬の死体も登場する夢だった。私はよく夢をみる人なので、面白い夢を見たときは夢占いを色々検索する。だから死の夢は良いことが多いということは知っていた。ちらっと検索してみると、やはり良いことが書かれてあった。というか、改めて読み返すとイニシエーション後に起きたことがドンピシャで書かれてあった。

しかし、イニシエーション前の時点では深く潜れていないままの私である。だからそんな夢を見たところでその夢を手放しで喜ぶことはできなかった。なのでもしイニシエーションの結果が良かったらあとでみんなにシェアしようと思っていた。

●イニシエーション前に大切に意識した目標

「丁寧に、トゥギャザーで、深く潜る」

「みんなを感じて踊る、立ち会ってくれる人やみんなのために踊る」

これが私個人の目標だった。

そして「7人で7点を取る」というのが全体の目標だった。それは一人が1点を取るということではない。7名で7点を取るという意味だ。誠司さんが直前にくれたこのアドバイスは、この先に起こることを予見しているかのようにとても的確だった。

イニシエーションでは、立ち会ってくれる人が観に来てくださる。コロナ禍なのでいつもよりかなり少ない人数だったそうだが私にとっては十分だった。発表する7名とは縁もゆかりもない人たちが、(もちろん誠司さんの生徒さんではあるが)私たちのために足を運んでくださったのだ。

●衣装と直前

最後の稽古を終え、本番用の衣装に着替えた。といってもそこまで大した衣装ではなく、自宅からコーディネートしてもってきたものだった。

稽古場には誠司さんがこれまでの舞台で使用してきた衣装の数々があり、持ってきた衣装を使わず、誠司さんの衣装を借りる人もいた。そして持参した衣装を別の人が着るということもあった。私がつっ立っていると、誠司さんが「これどうかな」と差し出した。赤い着物だったが、セクシーになりすぎて却下。すると今度は黒いロングスカートを差し出した。履いてみると、上の衣装とバッチリ合う。サイズもぴったりでものすごくキマった感じがあった。(誠司さんのウエストは細い)そのまま本番に使わせてもらった。

準備が整い、1階でみんなで控えていた。直前にならないと湧いてこないドキドキ感が降りかかってきた。でもそれ以外の私の心境はいつもの私であり、私は全体を見ることがクセなので、「あの人、こう感じているだろうな」などと思っていた。

お客さんが入り、誠司さんが呼びにきた。本番直前の写真を撮り、2階の稽古場へ。

●一人20分のイニシエーション

イニシエーションは、一人ずつ踊る。一人あたりだいたい20分くらいだ。まず私たちは一列になり、舞台の方をみて座る。私たちの後ろにお客さんが座っている。踊る順番はそのときに誠司さんが決め、背中をやさしくタッチする。誰がタッチされるかわからない。

踊りの最中は、誠司さんが過不足のないタイミングでその空間に最適な音楽を流す。音楽が流れないときもある。音楽が流れなくても、DJ GODの音楽が鳴り続けていることには変わりない。また照明も誠司さんがコントロールする。そして人によっては、ここぞというときに誠司さんがダンサーに声を掛ける。その言葉と声が、絶妙で見事なのだ。誠司さんは必要なときに声でその人の舞踏の舞に参戦してくれる。

踊り終えた人はそのまま観客側と反対の壁の方に座る。2番目からはメンバーと観客に挟まれた空間で踊ることになる。これがとても良い空間を作った。舞踏の神様が舞い降りたかのようだった。

誠司さんが采配した踊る順番も完璧だった。

トップバッターは7名のうち唯一の男性で末っ子長男的存在。すごい衣装とヘアメイクをして見事にトップバッターを務め、踊ってくれた。

2番目は昆虫食をこよなく愛する女性で、『死に損ないの未熟児』という名言の生みの親でもある。私は彼女の”間”が大好きだ。カエルの鳴き声がする音楽の中、虫に憑依し、虫の中に戻っていった。

3番目は久々に舞踏の稽古に参加したという女性。山の麓に生まれ育ち、自然が大好きな人。彼女の踊りの中でものすごく観客に近づくシーンがあった。そのときの印象が私のイニシエーションに大きく作用した。

4番目は最年少の女性。頭脳明晰であらゆるダンスを経験している。小柄で美形でセクシーな雰囲気の持ち主。彼女の美しい舞がすぐに思い出せる。

5番目は私だった。これまでのメンバーの踊りを見ながら、最初の入り方と途中でやりたい動きのインスピレーションが舞い降りていた。詳細は後述する。

6番目は圧巻だった。本番前まで「腹で触れているものを受容する」という動きができず苦しんでいた女性。しかし、本番に舞踏の神様が彼女に猛烈なエネルギーを注いだ感じだった。私たちは食い入るように見守った。2番目に踊った女性は嗚咽を必死に堪えていた。彼女の嗚咽もDJ GODの一部であった。

最後のトリはこの人しかいないという感じだった。トップバッターの踊りからずっと号泣していた女性。彼女は合宿が進むにつれ、後回しにしていた自分の問題と向き合い、とても苦しんでいたがイニシエーションで確かな気持ちと出会ったのだった。踊りの終盤、燃えたぎる彼女のエネルギーが溢れ出る中、誠司さんの「し~ずかに静かに静かに静かに静かに…」という声が踊りに参戦した。そして最後の最後「生まれてくれてありがとう」という誠司さんの声と同時に彼女は嗚咽して踊り終えた。

●私のイニシエーション

本番前、誠司さんは「本番は自分のためだけの時間だから」とみんなにいっていた。でも私は普段から自己主張をごく自然とできる人間である。それは私にとっては日常になってしまうので「見てくれている人のために踊る」ということを何度も意識した。
 

(誠司さんにタッチされ、舞台に向かうとき)

見てくださっている方への感謝の気持ちと、これまでの感謝の気持ちと、私が大好きなバレエの『瀕死の白鳥』を思い出して、私は正座の状態から心を込めて白鳥のように手を動かし、お辞儀をする動きから始めた。それでうまくスイッチが入った感はあった。

最初はDJ誠司の音楽がない中、とにかく「丁寧に、みんなとすべてとトゥギャザーで、深く潜る」ということを意識しながら、赴くままに動いた。

途中からDJ誠司によって、炎がバチバチ鳴る音楽が流れていた。この音は私にとって新鮮だった。私はそれまで冷静だったので、炎が似合わない気がした。「なんで炎なんだろ~?」と思いながら、踊っていた瞬間もある。

立ち上がる体勢になり、私は宇宙の果てに手を伸ばした。でもそれまでのメンバーの踊りによって、私は正座になって両手で畳を思い切り叩きたいというインスピレーションが湧いていた。「それが今だ」と思い、思い切りバチンと畳を叩いた。足りなかったからもう一度叩いた。そこから私は、地の果てに埋もれはじめた。

すると誠司さんの声が聴こえた。

「ここからだぞ!」

そうすると「生まれたくありません」という気持ちが湧いてきた。私は以前から、覚悟を持って生きているという自覚があった。だから「生まれることは手放しで喜べない」という考えがあったとしても、自分が生きることに対しては誠実に全うする意思を強く持っている人間だ。だから生まれたくないと今更いわれても…という気持ちも一瞬あったが、よし、一度とことん生まれたくないことを肯定してみようと思った。

するとひたすら頑固な自分が出てきた。私は本当に生まれたくないのだ。生まれたくないという私が確かにいるのだ。私は地面を這いながら逃げ続けた。

「生まれたくないです。生まれたくないです。それでも生まれて前に進めというのなら、私に枷をかけてください。それならば私は立ち上がって生きましょう」と思いながら、私の手は手錠をかけられた状態になった。でもそれでも立ち上がりたくないのだ。

枷が立ち上がる原動力にならなかったので、私の手首から枷が消えた。そして私はもがき続けた。するとまた誠司さんの声が聴こえた。

「顔をあげてごらん」

私はゆっくり顔をあげた。すると誠司さんと私の後に踊る2人のメンバーと、その後ろにいるお客さんの姿が目に入った。

私は「そうだ、私はみんなのために踊るんだ」ということを思い出した。

「私は、みんなと深く潜る」と思いながら、四つん這いになってゆっくりとみんなの元に前進した。

私は舞台エリアギリギリまで前進して、とても近い距離でもう一度みんなの目を眺めた。

のちに誠司さんいわく、照明のあたるドンピシャな場所に私の顔があったとのことだった。

これは、3番目に踊った彼女の踊りを見ていなければ生まれなかった踊りだ。

お客さんの中の、白い服を着ていた女性の姿からとても温かい優しさを感じた。

「私を見てくれている」

その辺から私の目から大量の涙が溢れ出した。

なんの涙なのか分からなかった。

悲しいとか嬉しいというのではないというのだけは分かった。

とにかく感極まって、久しぶりに子供のように泣いた。

泣いても泣いても泣き止まず、正座でうずくまり、身体を震わせながらひたすら泣いた。

「私、なんで泣いてるのぉ~?」と客観的に思っている私もいた。

「これは私のセラピーじゃないんだから、踊らなきゃ」という気持ちもよぎった。

ある程度十分泣いて少し落ち着いて、私はそこで抱えた重たいものを持って立ち上がろうとした。生きることにコミットしている私としては、それが自然な動きでもあった。

するとまた誠司さんの声がした。

「まだ立ち上がるな」

その時点で私の足は立ち上がっていて、あとは上体を起こすだけの格好だった。私はしばらく次の動きが見つからず、その辺を彷徨った。

するとまた誠司さんがいった。

「しゃがんで」(どんな言葉だったかあやふや)

私は「え?また元の体勢に戻るの?」と思いながらしゃがんで正座の状態になった。

するとまた涙が大量に出てきた。

「まだ十分じゃなかったや~ん」と思った。

私はまた身体を震わせて泣きながら、でも今度は右手を前に伸ばし、指先でみんなを感じようとした。

「私は、みんなと深く潜るの」

「みんなが私を見てくれている」

「私は、あなたたちと仲良くしたい。繋がりたい。私にとってものすごく大切なんだ。」

「私はそれがないと生きていけない」

私は両手を強く握りしめて、あなたと繋がっていることを確かめた。

「か弱くてごめんなさい。頼りなくてごめんなさい。私はこういう人間なんです。パワーはあるけれど、もうこれ以上は無理なんです。か弱いところを支えてくれる人がいないまま、進むことはできない。」

「重たいから、一人で持ち上げられないんです。持ち上げて一人で立派に立っているように見えるけど、実はこれ、ちょっとサバ読んで重さを軽くして持ち上げていただけなんです。」

そんなことを感じていた。

そして私は立ち上がらなくていいんだと無意識に理解して、その重たいものを抱えて抱えて抱え続けて、か弱い私をむき出しに晒して、子供の頃のままの私になって、その重たいものを、土に返して浸透させた。

そして誠司さんの「はい、起き上がって」という声が聴こえた。

上体を起こすときに涙を軽くぬぐってしまい「あ、まだ終了の合図がないのに丁寧でない動きをしてしまった」と冷静な私が思っていた。

終わるときの私の姿は、か弱いままの子供の私そのものだった。見た目はとても立派な大人の女性なのに。

「はい、OKです」という誠司さんの合図で私の踊りは終わった。

●振り返って気づいたこと/思ったこと

・私は今まで、生まれたくないともがき、枷を使って立ち上がることしかできなかった

・自分から顔を上げ、あなたたちを見つめに行こうとしていなかった

・こんなに目の前にいるのに、こんなに温かい目で私を見てくれているのに、私は自ら顔をあげようともしてこかなった

・顔をあげてみたら、あなたたちがいることを思い出した

・私はあなたたちに会いたかった

・か弱い私を温かく見つめてくれるあなたたちに

・あなたたちがみてくれているなら、私は枷を外して、自らの意思で立ち上がれる

・この残酷で美しい、奇跡の世界を生きていける

・この世界は奇跡の連続で存在している

・私も地球も宇宙もやがて死ぬ。すべては跡形もなく無くなるのに、なぜかこの世界は今、奇跡的に存在している

・私は奇跡的に存在している

・瞬きのような奇跡の連続で成り立つこの世界は美しい。愛おしいものなのだ

・愛というベクトルで生きることもできるのだ(庸平さんをみて感じたこと)

・私のために存在してくれてありがとう

・私の目の前に、現れてくれてありがとう

・私の目に映る全て/触れているもの全て/宇宙の全て

・私はあなたたちが何より大切だ

・私はあなたたちのために生きたい。あなたたちのために命を尽くして死にたい

●7人で一つの生命体

このイニシエーションでの踊りは、合宿の全ての過程によって作られた踊りだった。

最初はバラバラだった私たちが、誠司さんの指導によってイニシエーションで見事に一つにまとまり、「7人で7点」が本当に実現した。

一人一人の立場で見てみると、一人が1点を取ったということではない。踊りのピークが合宿二日目に迎えた人もいれば、合宿が進むにつれどんどん落ちていく人、終始安定していた人、イニシエーションでピークを迎えた人もいる。

でもそれまでのメンバーの踊りと度重なるシェアがあったからこその結果なので、誰が良かった、誰があまり良くなかった、ということではない。

終了直後のシェアでは、出し切れなかった感覚を持っている人たちはそのことにモヤモヤとしたものを感じていたが、話を交わす中で先に述べたことをしっかりと理解して、かけがえのない存在であったことを受け止めていた。人間は、一人だと未完成だと感じてしまうか弱い存在なのだ。

●夢の開示

終了後、誠司さんに今朝見た兄が死ぬ夢のシェアをしたとき「イニシエーション前に言わなかったことは正解だったね」と言ってくれた。

●庸平さん

合宿中の食事はすべてイマジナリーカフェをされている庸平さんが担当してくださった。ビーガン料理で珍しい素材もたくさん頂けた。すべてに愛がこもっていてとても美味しかった。
 

庸平さんは掴みどころのない人で、不思議な魅力を持っている方である。占星術もできるということで合宿終了後、メンバーと一緒に見てもらったりする中でたくさん話をした。

翌日は庸平さんプレゼンツ、イマジナリーツアーに参加した。奈良の三輪山に行き、神社を参って、知る人ぞ知るめちゃくちゃ美味しい三輪そうめんをいただけるツアーだ。

まず三輪山の麓に着いたとたん、空気がものすごく美味しくて、山のいい匂いがした。

目的のお店は神社より奥にあって、神社付近に看板もない。庸平さんはたまたま見つけたらしい。

と、これだけの情報では何も伝わらないのだが、とにかく一緒に時間を過ごしているだけで、この人から愛が出ていて、その辺に漂っているという感覚があった。

みんなで美味しい野菜づくしのそうめん膳を頂いているとき、お店の棚にある食器を眺めていたら、目に映るものが輝いて見えた。そしてその食器が作られるまでに関わるすべての歴史に思いが巡った。遊動民だった人類が、土器を作り始めたときからの歴史だ。そう思うと、この食器が今ここに存在していることは奇跡的なことなのだなということが分かった。この世界は奇跡の連続で成り立っているのだ。

いままでの私なら、そういうキレイゴトはどちらかというと嫌いな方だった。何度もそのキレイゴトに裏切られた記憶があるからだ。そんな私なのに、理解できた。そしてそのことに幸せや喜びを感じている。

私はこれまで、幸せなんてかなり底辺にあるものだと思っていた。幸せになるのは簡単で、逆に「何かを達成できたら/得られたら/手放せたら幸せ」という考え方自体がおかしいと思っていた。しかしそう思いつつも、今感じているような幸せは感じていなかった。いつの間にか大切な感覚が手からこぼれ落ちてしまっていたのだ。

●庸平さんの占星術

庸平さんは3時間くらいかけて、星の読み方を丁寧に説明しつつ、読み解いてくださった。そのとき私と同い年の女性と一緒に話を聞いていたのだが、お互いの存在について、普通なら3時間のお話では到達できないほどの理解をし合えた。さらに翌日のイマジナリーツアーで訪れた場所が彼女の故郷であったので、余計に彼女のことを深く理解することができた。

●群をなしたいという欲求

星から読み取れる私の人生の目的の一つには、集団欲求を叶え、安心感という心の土台を形成することがあるそうだ。今回の私のイニシエーションのテーマそのものだ。私は自分の大事なものを囲って守る傾向がある。蟹の甲羅のように。

●私はモダン・ポカホンタス

占星術によると、自分らしい私とは「ポカホンタス」なのだそうだ。

ポカホンタスはネイティブアメリカンの部族の酋長の娘である。白人がアメリカ大陸に乗り込んできた時代に、部族の仲間によって捉えられた白人をポカホンタスがかばった。部族の仲間たちはポカホンタスの勇気と行動力と優しさに胸を打たれ、白人を解放し、和平を結んだ。ポカホンタスは白人に信頼され、のちに結婚して白人社会で有名になった。

ポカホンタスは外部にある考えや思想と融合させてメリットを生み出す人を象徴する。戦略とか損得で融合を図るのではなく、思いやりや自分のセンスを発揮して新しいものと融合していくのだそうだ。

他の占星術で「集まった部族に白人の恋人を紹介するインディアン娘」と書いてあるのを読んだことがあるが、そういう意味だったのかと腑に落ちた。確かに私は、身内がギョッとするものを持って帰ることがよくある。その度に母の大批判を受けるけど、選択を変えないのが私だ。

また、「ポカホンタス」の名前の意味は「おてんば」「甘えん坊」とのこと。子供の頃から好奇心旺盛で人にくっついていくタイプの女性だったそうだ。

まんま、幼少期の私である。

庸平さんの占星術によって、イニシエーションの深みが増した。

●おわりに

このレポートを書き上げるまで、完全な日常に戻さないように心がけた。まだ感度の高い状態のうちに書き上げたかった。夕方はスーパーの買い物がてら、夕日を浴びた桜並木を歩いて、すでに触れているものを感じてみたりもした。今も合宿中に何度か使われたドビュッシーの『月の光』を聴きながら書いている。

私は一体何と出会えたのか、このあとも時間をかけて考えたい。今はとにかく、バッと出てくることだけを書ききった。

ただ今は間違いなく、これからの自分のあり方が変わるだろうという手応えがある。

誠司さんをはじめ、私の人生にこんな素敵なものをもたらしてくださった全ての存在に心から感謝申し上げます。