動かない身体

「部屋を片付けたいのに片付けられない私」

「読みたくて買った本なのに1ページもめくらない私」

「身体を動かして快活な身体にしていきたいのに今日も何もしない私」

 
 

「アマゾンからの荷物を開封したいのになかなか開封しない私」

「PCのフォルダ内を整理したいのに、いつもズボラな方法でなんとかしのいで仕事をやりこなす私」
 
サクッとできることはサクッとやれるのに、なぜか身体がピクリとも動かない事柄がある。
 
それが単に自分がやりたくないことであれば問題ないのだけれど、そうではなく、頭ではやりたいと思っているのに、身体が動かないので困ってしまう。
 
「これでいいのだ」と動かない自分をよしと思えるならそれでいいのに、どうしてもそう思うこともできないとき。こういう状態が続くと、自分の好き嫌いがよく分からなくなってきたり、動けない自分を責めて自己嫌悪に陥ることも出てきます。
 
この心と身体がちぐはぐで自分をうまくコントロールできていない状態をどうやって解消すればいいでしょうか。
 
こんなとき、私は私の心の中に何人もの私がいると想像します。
 
明るくて調子乗りの私
ずぼらで怠慢な私
わがままな私
頑固な私
愚かな私
怖がりの私
強くて勇敢な私
崇高な私

などなど。
 
動かないときに足を引っ張っているのはだいたい決まって怠慢な私かと思います。
 
でも怠慢な私に「やろうよ」と言っても全く納得しません。
 
そのうちわがままな私と頑固な私が参戦してきたりして余計に動けなくなります。 

ではどうすれば良いか。
 
まず、こういうときに一番大事なことは、足を引っ張っている私を責めないということです。
 
動きたくないという私の意思を尊重し、信頼してあげます。
 
そうすると、〈動きたくないと思っている私〉は〈主体の私〉に大切にされているのだと理解するので、自然と主体の私に協力してくれるようになったりします。なので逆に責めてしまうと余計に動かない意思を固めてしまうでしょう。
 
その信頼関係がある状態の上で、
 
1、一番動きたくないと思っている私でもできる方法を考え、提案する
2、しばらく放っておいて他のフットワークが軽い勢力が強くなるまで待つ
 
外部からの影響によって、「動きたくなる」こともあります。
例えば、箱根駅伝の選手たちの闘志に感染して、自分も走りたくなるとか、ゴミ屋敷をどんどん片付けている人の動画をみて片付けたくなる、とか。
 
そんな風に、動きたくないと思っている私を蔑ろにせず、大切にしながら色んな方法を模索しているうちに、自分の身体が軽くなってサクサク動けるスタイルを作り上げていくこともできます。
 
私も、「これ、いつやるんだろうなー」と自分で思うことがあります。でも、それでも私は私を信頼しているので、やるんだったらやるだろうし、やらなかったとしてもそれが正解だと思えます。
 
怠慢な私も、わがままな私も、愚かな私も、信頼してあげて、実際の行動としてそれを示すと、彼らのほうも主体の私を信頼してくれます。
  
この話は書き出すと長くなるのでこの辺でやめておきますが、ピンときた人はぜひ参考にしてください。「私」という存在を、無垢で個性豊かな何人かの子供たちと捉えて、親である主体の私がみんなを幸せにするために「私」を営んでいるという感じです。(怠慢な私も、わがままな私も、愚かな私も、怖がりな私もみんな可愛いです。頑固な私はむしろ頼りになります。)
  
ただ、この手の話は解説をこのように読んだとしても、自分に落とし込めないことが多いので、私はこれを必要に応じて、生徒さんに実際にレクチャーしています。