自立する身体

自分の身体を心地よい状態に保つためにコントロールする技術と知識というものがある。そしてその身体は社会の価値観にどっぷり浸からない身体であり、社会の中で自立し生きていける身体である。
 

身体観は人それぞれである。
 
食べ物やお酒、タバコなど、単に自分が好むものを食べたい欲求が強い人。
人と打ち解けるためという理由でお酒を長時間たくさん飲む人。
 
例えばそのような事情で、消化器官を長時間ハードに働かせることで身体に負担がかかり、それで動きづらい身体になったり、病気になったり、寿命が縮まったとしても良いと思っている人もいるし、
 
どんどん便利なる現代社会では、昔とくらべて身体は大した役目を果たさなくなったのだから、身体づくりに時間と労力を取られて、今送っている生活や、やりたい活動に差し支えが出るくらいなら、快適な身体をつくり、維持する技術を知識を得るための努力はキャンセルして、今の生活や自分のやりたい活動のみに注力するのだという人もいると思う。
 
また逆の傾向として(健康のために?)「白砂糖は悪だ」と言ってそういうものを徹底的に避ける割には身体を動かすことで身体を回復させたり、パフォーマンスアップを図る努力には関心がない人もいる。
 
そもそも自分の身体について深く考えたことがないという人も多いと思う。(考えているようでいて、それが一部だけであったり)
 
でもそのような身体に対する色んな価値観や認識がある中で、私が知っているような身体の世界の実態を全く知らないという人は圧倒的に多いのではないかと思う。
 
私の知っている身体の世界というのは「動き」に注視した結果、見えてきたものである。
 
科学的根拠はきちんと示せないが、動き方や筋肉の使い方によって筋肉の質が変わること、それによってあらゆる臓器の機能にも影響を与え、それはときに自分の身体を超えてしまうほどの影響力をもつということは、私や私が関わった生徒さんたちの身体に起きたこととしてある。
 
現代の医療では特に「身体の動き」を軽視しているように私は思っている。
 
診察では目の前の患者を見ず、患者の内部を写した画像やデータだけを見る医師の話はよく耳にするし、私自身も受診した経験が少ないのにそういう経験をしている。
 
権威ある医師がそういう価値観なのだから「身体の動き」に対する価値が、身体に不調を覚えて危機感を感じている一部の人や、見た目に対する欲求や関心を持つ一部の人にしか理解してもらえないのは当然かなとも思う。
 
私自身も、何も「身体の動き」に対して信仰にも似た絶対的な重要性を持っているわけではない。(と思う)私は健康オタクではないし、長生きが良いことだとも思っていない。そもそも仏教を好んでいる一つの理由として、人間が生きることを手放しで喜べないという視座も持っている。また、尊厳死の問題や、孤独死の問題にも興味を持っているが、とにかく絶対的な正解はないというのが私のあり方だ。
 
ただ、今の社会では「身体の動き」に対する価値が軽視されすぎていることに、そういう風に感じる場面が多々あるので、正直、一人でこっそりと深く傷き続けている。
 
例えば、生理にまつわる社会問題で、生理による重い症状に対して社会がどう理解していくかという議論では、男性への教養や生理用品の税の負担、ピル、生理休暇などの話は頻繁に出てきても、身体の使い方を変えることで症状を改善していくという手段は全く議論されない。それは色々な事情を考えてみれば仕方ないことなのだけど、現代人は基本的に、外側を変えようとして、自分のあり方は変えないという傾向が強いしそういう態度が肯定されやすいと思う。
 
そもそも社会問題の議論とはそういうものなのかもしれないけれど、身体の不調を含め、人のあらゆる悩みや問題が社会システムによって生み出されている副産物なのだとしたら、社会制度や啓蒙で解決しようというのは、逆にそれによって新たな問題が出てくることもあるし、それだけではとても難しいのではないかと思う。
 
まずこの社会のあり方を拒否する選択もできる。
 
私の今の生活は、通勤はクロスバイクとリュックで5分。家の中でも外でもスタジオでも、足は常にビルケンシュトックのサンダルの上にあり、服装も、たまにおしゃれをして出かけるとき以外は、関節の動きに制限がかからないものを着る。長時間のデスクワークも色んな体勢で作業する。(途中でスイッチが入って踊ったりもする)
 
これだけでも、多くの人は実現するのが難しいと思う。
(ビルケン生活はそもそも抵抗を持つ人がいる。「フローリングが傷つくから」という意見については、いや、私からするとあなたの素足がフローリングによって日々傷ついているのだけども…?と思うけれど。日本の文化的に「家の中でビルケンはやめて」という人の意見などは理解できる。)
 
私はちょっとした田舎で育ったので、どこに行くにも移動には1時間半くらいかかるのが当たり前だったし、整形外科に勤務していた頃は、満員電車で通勤往復4時間、そして、帰りは駅から1kmほど上り坂だった。(毎日気合を入れて自転車で駆け上がる)
 
でも私は少しずつ、できることから身体に嫌な負担をかけない選択をし続けた。(特に足への負担に対しては徹底的に。土台を崩されると、自立できないもんね)言い換えると、社会が押し付けてくる身体への嫌な負担を回避してきたから、今のライフスタイルがある。(別に意識してやってきたわけじゃないけれど)
 
こういう話も自立の一歩なのではないかと思う。
 
これは生活を改善して生産性をあげようという話ではなく、社会に自分が絡め取られないようにするための自立の話だ。