縦横無尽に考えをめぐらせる

全然違う事象から全然違うことをつなぎあわせて(横に並べて)考える。
アイデアはそういうところから生まれている。
 
それが抽象的に考えるということでもある。
それを「天然知能」と呼ぶことにしてみる。
 
  
人工知能はそれができない。
違う事象をつなげて考えることができない。
何かを学んだら、そのことだけしか理解しない。
 
A=A
B=B

というように。
 
だからAはいつまでもAの答えとしか活用されない。
 
AがBに関連するとか、
AがHに一部共通するとか、
AがYに応用できるとか、
そういう見方はできない。
だから、いくら学んでも活用できない。
 
これは現代にとって、とても深刻な問題だと思う。
 
例えば今日私は、身体づくりを通して何ができるのか、何が得られるのか、何のために身体づくりをするのかという意義を考えるとき、なぜ江戸時代に武道(武芸の鍛錬をする道場)が生まれたのかというところに、何か考えるヒントがありそうだと目星をつけた。
 
それは私には道場的な、動きの学校的なものが作れたらという思いがあるからなのだけど、そこから過去の記憶をひっぱり出して、「社会学者の橋爪大三郎さんが徳川幕府の時代の武士についてわかりやすく話してくれていたな」と思ってその議論にアクセスする(ネットなり、本なりで)。
 
そしてそこで得た知識によってまた考え、自分の行動に落とし込んでいく。
 
多分、ここでいう天然知能が働くようになるには、子供のうちから「世の中見えている通りじゃない」というような何か目覚め的な経験とか、新しい世界を知る経験があるかどうかというのが一つ、関係するのではないだろうか。(もちろんこれだけではないだろうし、違うかもしれないけど)
 
もっと安心の中で
穏やかな心の中で
好奇心に身を任せて
好奇心のカケラたちに共鳴して
物事を自由に捉えていい
 
ということを特に若い人たちに言いたい。