安心・心の平安はどうしたら手に入るか?

私なりの精神構築法というのがあります。
 
それはいくつかあり、裏技もあるので、全部書くことはできないのですが、一つ大事だと思うことを書いてみます。
 
・自分に自信がない人

・自分が嫌いな人

・自分を過小評価している人
 
まず、これらの人に共通しているのは、「できない自分を許せない」という点だと私は思います。
 
「できる・できない」の土台は「能力」です。
そして、能力には向き不向きがあり、必ず個々で限界があります。
それで自分を評価するのはあまりに無謀です。能力が高い人は一握りですから、その指標では自分を許せないことだらけになってしまいますし、「うまくできないけど好き」という内発的な好奇心の芽を潰してしまいます。
 
また、その指標を持ちつつ自分を尊重するためには、「できない自分に目を向けないこと」が必要になります。できない自分を見たら許せないので、だったら見ないようにしよう、と無意識になってしまいます。
 
 
●『自分を尊重する』とはどういうことでしょうか。
 
それは、愚かな自分、醜い自分を含めて尊重するということだと私は考えています。
 
決して「素晴らしい自分」「誠実な自分」「崇高な自分」だけを尊重するのではありません。そこだけを尊重するなら、それは自分を尊重しているとは言えず、社会の物差しでみた自分の良し悪しではないでしょうか。
 
「人と自分を比べない」ということは大事です。
しかし「昨日の自分と今日の自分」を比べるのも、疑問が浮かびます。
 
それは、昨日の自分より今日の自分が成長できていたら、問題ありません。
が、そうでない日がやってきたらどうするのか。
また、「やはり私はダメな人間だ」と落ち込み、自分に失望するのでしょうか。
 

●ではクソな自分も受け入れている人は、どういう思考や選択をするか。
 
できる・できないに関係なく自分を見ることができます。
 
志望校に落ちた自分も、就職に失敗した自分も、フラれた自分も、何かの被害者になった自分も、何かの加害者になった自分も、お金がない自分も、仕事ができない自分も、成果を出せない自分も、人が簡単にできていることができない自分も、歳を取り老けていく自分も許しているので、そんな自分の実態を見ることができます。
 
つまり見たくないものを見ることができるので、それがかえって同じ失敗をしなくなったり、生きていく上で重要な価値観のパラダイムシフトが起きて、今まで見えていなかった重要なことが見えるようになったりして、結果的に豊かさを手に入れることができちゃったりします。
 
ここでタイトルの答えになりますが、どうしたら心の平安が手に入るのか。
それは、不安に目を向けることで叶います。
ほしいものの裏側を見るということです。
 
 
良い自分しか尊重できない人は、絶望に目を向けることはできません。
絶望が目の前にあっても目を向けません。そしてその絶望が自分に襲ってきたときに右往左往してしまいます。
 
でも、自分の全部を尊重している人は、絶望にさえも目を向けて、そこから希望を見出すことができます。
 
絶望を見るのは、ただ陰湿な性格の人で、ドMなやつというわけではなく、希望を見出すために絶望に目を向けるという前向きな行為のことなんです。
 
しかし、これは何度も発信している話なのですが、いくら言葉で説明しても、理解できない人は理解できないのが実情です。(理解できる人は私が言語化する前からわかっている)
 
「見たくないものを見る勇気がない」という人の心には、なかなか届かないのがもどかしいです。(自分をいじめるために見るのではなく、自分を救うためにやるのだということが、本人の実感としてはなかなか伝わらない)
 
これは私の生存戦略でもあるのですが、
私は、良いとされているものを疑い、悪いとされているものを疑います。
つまりいつも常識を疑っているということです。
 
例えば、「健康」と聞けば、良いことだと思う人がほとんどでしょう。
しかし「健康」にも悪の要素はあります。そこを見ないまま、健康に熱心になって生きていると、まず、病気になったときのショックは熱心な人ほど大きくなります。それとか、不健康な人の気持ちが理解できなくなります。(尊重できなくなる。タバコ吸ってる人=悪!みたいな。)
 
また、この疑いの矢は、自分自身にも向けています。

「私は本当にこれでよいのだろうか?」「私の考えは正しいか?」といつも考えています。
 
「これでいいわけないやろ」が私の前提であり、そんな私を私が認めているからこそ、「いいわけないやろ」と自分につっこみを入れることができるわけです。決して自分を卑下する気持ちからつっこみを入れているのではありません。
 
これがなかなか伝わらないんだなー。
だから、この手のことは、誰かに教えてもらうのではなく、自分で掴むしかないんです。