そんなことより、今あなたは何を感じているのか

人のことを見て「羨ましい」と思う気持ちにとらわれることは、本当に無駄で不毛なことなのでやめてしまいましょう。その人の本当のところなんて、外から見ていても一切わかりません。
 
 
すごいなと思う人が実はすごくないなんてことは山ほどあります。
 
とてもまともなことを言い、まともな行動する人が、目の前にあるいじめをいじめと判断せず、他人事、スルーすることなんて山ほどあります。

実際にいじめている人や差別をしている人が「いじめはよくない」「差別はよくない」ということを言っちゃってる、なんていうのも山ほどあります。(被害者側はそこがよく見えてしまうので「お前が言うかー!」ってなりますよね)
 
「きっと温かい家庭なんだろうな」
「きっと良い生活なんだろうな」
と見えていても本当にそうかどうかは外からはわかりません。
 
とくに、ネット上に出ているものなんて、基本的にすべて幻想、もしくはフィクションの映画をみているくらいに思っておいた方がいいと思います。
 
そんなことより、今あなたは何を感じているのか。
 
自分で自分をどう見ているのか。
 
幻想の、フィクションの他人の生活と自分を比べてどうか
という視点は脇に置いて、今の自分のあり方に満足できているのか。
 
そっちのほうを見つめてあげてください。
 
●〈道半ば〉VS〈中途半端〉
 
「満足している」と思う人は置いておいて、満足できていないと感じる人の場合、それが〈道半ば〉なのか〈中途半端〉なのかで感じているものは随分変わると思います。
 
自分が求めるゴールへの〈道半ば〉であれば、人は満足することができます。
 
しかし〈中途半端〉〈停滞・澱み〉〈くすぶり〉の状態は、〈道半ば〉ではなく〈ケガレた状態(気が枯れた状態・穢れ)〉と言えます。(エントロピーが増大した状態とも言える←最近発見した)
 
最初はあったはずの目的地(夢)が消えてどこに向かえばいいかわからなくなっているのかもしれません。(だからケガレる)
 
あるいは最初はつながっていたはずの何か大事なものとのつながりが消えて、糸が切れた凧のような状態になっているのかもしれません。
 
また、求めるゴールや得たい結果だけに価値を置き、「過程には価値がない」とか「過程の渦中にいる自分を許せない」などを内心で思っている人は、長い過程の中でストレスが大きくなりすぎて(つまりケガレが溜まってしまって)欲しい結果にたどり着けないパターンも多いのではないかと思います。
 
それでも根性でたどり着く人もいるかもしれません。ただその場合、たどり着いたときに「それが本当に自分が得たかったものかどうかが疑問」という不毛感を感じる人もいると思います。(今、ふと頭によぎったのは映画『サーミの血』の主人公エレ・マリャの気持ち)
 
でも、それでも何かしらの山にたどり着いたときは、たどり着いた人にしか見えないものがあり、それがたとえ後悔するようなものであっても、膨大な過程を経て気づけたのだから、いいではないか、と私は思います。(それはそれで素敵な人生)
 
・・
 
じゃあ、自分のエントロピーが増大しちゃってケガレている場合、どうしたらいいのか?
 
その答えだって人それぞれです。いろんなパターンがあります。
 
自分の手足を動かしながら、いろんなものを見て、触れて、知って、自己と対話していく中で見えてきます。ただ人には必ず盲点があるので、自分一人で考え続けるのはあまり良い方法とは思いません。一人で考えると全体が見れないので、堂々巡りになったり、お門違いな答えが出てきたりしてしまいます。
 
私は生徒さんとレッスンで色んな話をしますが、そういう対話の中で生み出されるエネルギーを常々感じています。(身体を整えながら話をする90分ってすごいんですよ)
  
人間には、誰かや何かとのつながりが必要だとひしひしと感じますが、そのつながり自体がどんどん希薄になる昨今、これは本当に困った問題だと思います。
 
しかし、「世の中が暗くなると、人が輝く」と言います。
 
「今までの生存戦略では立ち行かない」と気づいた人から、輝きはじめるのだと私は思います。