[my pathos#6]私だけは、私をないがしろにしてはいけない

たくさんの方をレッスンしてきて思うことです。
 
辛いことがあったとき、辛いことが続いているとき
人の身体は防衛本能で感じる機能を低下させることができる。
 
それは生きるための生存戦略の一つ。
でも、そうすると、自分にとっての喜びも感じにくくなってしまう。
  
  
自分の快/不快を感じ取れなくなった身体は
どんどん心と離れ離れになっていく。
 
そうならないように
きちんとケアをすべきと考えます。
  
 
 

 
 
 

  

 
 

 
ショックをうけたとき

その気持ちを押し殺すと

感じる機能が失われる

その状態が長くつづくほど

快・不快が感じれなくなり

少しずつ心と身体がバラバラになってゆく

身体がサインを出していても

きちんと受け取れず

結果的に自分をないがしろにすることになる

大事なことは

傷ついたときに、きちんと自分を救済すること

傷ついた私は汚れた者ではない

傷ついた私は隠すべき存在ではない

だから安心して

なかったことにするのではなく

「自分は傷ついている」と自覚すること

これは幼稚園児くらいからやってほしいことである

傷の深さは他人が評価できるものではない

たとえ親であろうとも

傷ついた気持ちを誰も軽んじることはできないし

汚れた者とみなすことはできない

私だけは、私をないがしろにしてはいけない

誰もわかってくれないと感じる日々があったとしても

私だけは、私を見捨てないよと、守ってあげる

幼い私が悲しいと言っている日は

寄り添ってあげる

気がすむまで

いざというとき、私が私を救った経験は

自分への信頼を増やしてゆく
 
 

 
★My pathos とは
Pathos(パトス)とは、ギリシャ語で「降りかかるもの」
今、私に降りかかってくる言葉を書き留めるために
Instagramにて、ハッシュタグ[my pathos]をつけて発信しています。
 
この宇宙のすべては常に移り変わっています。
同じ毎日にみえても、昨日と同じ身体だと思えても、
この世界のすべては移り変わっています。
 
この流れの中で降りかかってきたものは、そのときしか受け取れません。
そのパトスは二度とやってきません。
 
だから、価値があるとかないとか、意味があるとかないとか、
そういうことは関係なく、私に降りかかってきたものを
書き留めておこうと思ったのです。