望む結果以外がもたらす喜び

結果とプロセス。
結果と中身。
 
良い結果を出せれば良いのか。
結果がよければプロセスや中身に価値はなくなるのか。
 
 
例えばもしかしたら、多くの人は、自分の身体を理想の身体に取り替えられたら良いなと思っているのだろうか。
 
例えば数万円だせば誰でも簡単に、リスクも少なく自分の思い通りの身体に取り替えられることができるなら、多くの人の悩みは解消されるのだろうか?
 
そうやって嫌なこと、面倒臭いことを免除し続けて、それらをほとんど体験しなくなったらどうなるんだろう。
 
私は動くこと自体に喜びを感じている。
私の生徒さんには、それを伝えたい。
ボディラインがキレイになることよりも、動くことの喜びを伝えたい。
 
動くといってもハードに動きまくるとか、テクニックや能力、美しさを競うとか、そういうことじゃない。
 
重力と調和した動き、音楽と調和した動き、自分の内面と調和した動き、今ここのすべてと調和した動き、そういう瞬間の喜びがあるということを伝えたい。それは、生きていると感じることとつながる。
 
生徒さんの動機の入り口が体型や不調に関する悩みであっても、私が一番伝えたいのは動くこと自体の喜び。
 
そして、それを獲得するには時間がかかる。変化が要求される。
そのプロセスで起こること、感じることすべてに価値があると思っている。
たとえそれが面倒な練習であったとしても。というか、面倒な訓練自体にも喜びがある。
 
面倒なことを避けた分だけ、苦痛を含めたプロセスを経ないと感じれない喜びがなくなる。それでいいのだろうか。

結果も伴わない苦痛を人生の体験から免除したいからといって、その人自身が望んでいる結果以外がもたらす予想外な喜び(誤配)を手放してもいいのだろうか。
 
その人が認識している問題さえ解決すれば、
その人の結果が望むものでさえあれば、
それでいいのだろうか。