自分の足で立つこと。自分の頭で考えること。

今、私の目には、ある境目が見えています。
 
あるものを手放すか、手放さないかで、ひとりひとりの人生が大きく変わってしまうのではないかと感じています。
 
それは何かというと、〈考える〉ということです。
 
 
日本が経済成長をできなくなったことや、イエスマンというのか、働きアリのような人材を育成するための教育などによって、自分の頭で考えるということを知らぬ間に放棄している人がワッと増えたように感じます。
 
考えない人とは、「周りがやっているからやる」とか「周りがやっていないからやらない」という風な判断の仕方をしている人のことです。また、よく考えないですぐ答えを欲しがったり、答えが出ない状態が耐えられず何かしら決めつけようとする人もいます。
 
また、相手の言葉(テクスト)だけしか受け取れず、文脈や背景など(コンテクスト)が見えなかったり、想像できない人もそれに当たります。言葉を鵜呑みにしてしまい、他者の言葉を活用したり、自分の肥やしにしたりすることができないのです。
 
考えない人とはおそらく、〈考えたくても考えるということがよくわからない〉という人も多くいるのではないかと思います。考えているつもりなのに、全然考えられていないという風な。
 
それは考える以前の、感じる力の劣化=感情の劣化も深刻であるということがあると思います。
 
 
●考える→テック化→身体性の変化
 
そもそも人間は、文明が生まれる前から道具をつくったり、道具を作るための道具を作ったりして、あらゆる負担を免除するために技術化(テック化)をする動物です。
 
例えば、遊動民は星を読んで天候や方角を察知していました。また一部のシャーマンなどには〈星を動かす〉という、現代人にはもはや共有できない能力を持つ人もいたそうです。
 
でもそんな能力も、コンパスが誕生すれば不要になるので自然淘汰されていきます。
 
もう少し身近な例でいうと、昔はそろばん教室があり、頭の中でものすごい桁の数でも暗算で出せる人が多くいました。でも電卓が普及すれば、その能力は不要になるので消えていきます。
 
そんな風に、テクノロジーが発展すればするほど、つまり能力を外部化すればするほど、私たちの身体性は変化してきました。その変化は基本、能力が不要になるので、身体性の劣化につながりました。
 
今回のコロナでいうと、このままどんどんオンライン化が普及すると、嗅覚や触覚に変化が生じる可能性が考えられます。
 
優良な体験質が得られない子供たちは、感じることや感じる体験に乏しくなることによって、自分を含めた人や人以外の生き物の気持ちや、有機物や無機物の存在について、感じる力が得られなくなります。そして大切な関係と気づかずに壊してしまうかもしれません。(人間はこれまで様々な大切な関係を壊しています)
 
今となっては、社会全体を安心安全便利快適にしていくことによって、自分たちで考えなくてもよい環境が随分と広がっています。もちろん、便利になる=肉体労働も減るわけなので、身体も劣化していきます。心身ともに劣化し、多くの人間は、社会システムが機能しないと生きていけないようになります。
 
そもそも人間は、自分たちが豊かになるために知恵を使っていたはずなのに、手段の目的化が起き続け、今では自ら首を絞めるような結果を招いているのだろうと思います。
 
現在の日本は、”沈みかけた船”と表現できます。
 
そして、ニヒリストは「今さえ、自分さえ、自分の周りさえ良ければあとはどうでもいい」という考えで諦めています。
 
でもそれよりも悲しいのは、考えることを放棄して、どうしようもない事態にならないと、危機に気づけない人たちがたくさんいるという状態です。
 
特に日本の女性は、まだまだ自分を過小評価している人が多いと思います。
それは日本のジェンダーギャップ指数が世界153ヵ国中121位という結果が示すように、日本の男尊女卑や家父長制の根強さが大いに関係していると私は思います。
 
「自分にはできない」「誰かがやってくれるだろう」と簡単に手放す人が多いほど、船は早く沈み、自分を過小評価している人から先にどうしようもない事態がやってくるはずです。
 
本当にそれでいいのでしょうか。
それは本当にひとりひとりが願っている未来でしょうか。
 
まともな人間は、自分を改めることができると私は思います。
人間は神様ではないので、間違えたり失敗することが前提です。
だからこそ、内省してやり直すことができます。
 
昨今では、謝れない大人がめちゃくちゃ増えていると思います。
自分を改めずに隠したりごまかしたりする方に走る。これは子供と同じ思考レベルです。そんな大人たちをみて育った子供たちが、内省できる大人になるとは到底思えません。
 
謝るのは苦痛を伴うかもしれないけれど、心から謝ったあとはとても心が浄化されます。そして自分で「ああ、まずかったな」と反省するからこそ、自分への信頼を失わずに済むのです。
 
省みることから何とかして逃げようとすればするほど、どんどん糸は絡まり、その変形は戻せなくなります。それはつまり自分を信頼できなくなるということです。それは本当にその人が望む生き方なのでしょうか。
 
見かけだけ良ければ、見かけだけ勝ち組であれば、中身はドロドロでもいいと本気で思っているのでしょうか。
 
でも最後にもう一度書きますが、もっとも悲しいのは、船が沈みかけているのに、考えることや自分の足で立つことをなかば放棄した人たちが多すぎるということ。あなたはそんなもんじゃない。私はそう思います。