誤配のない世界なんて

東浩紀さんのいう〈誤配〉という言葉にしばし心を奪われた。
 
そうそう、昔は誤配があった。
私も少しだけ体験した記憶がある。

内から湧き上がる情熱に身を委ねて、動き回り、誰かに話をしているうちに、見ず知らずの人から「あなたに紹介したい人がいる」と言われ、それがこの道に進む始まりとなった。
 
でもその後、別のルートでも私は同じ人を紹介される可能性があったのだと気づいて、この道は間違いなかったのだろうと、その後に起きたすべての恩恵も苦難も、全部受け止めて食べ尽くした。
 
今はその誤配が起きなくなった。
 
この小さな頭では想像もつかないような”縁”が起きづらくなった。
私が師にたどり着いたのは、誤配以外のなんでもないとさえ思う。
ただただ私の情熱が、漂着した先が師だった。
 
師にとっても、私のような人間が目の前に現れるなんて思ってなかったはず。
正しい宛先に届かない誤配が、素敵なものを生み出すかもしれないという、自由。
 
その後も私は必要な人と、誤配的に出会ってきた。
そのおかげで今の私がある。
 
でも最近はそれがなくなってきて寂しい。
誤配を求める人が減ってきている気がする。
何も始まる前から、内容や保証を明示する。
人に対しても、物に対しても、サービスに対しても、何に対しても。
 
そんなんじゃ私と師のような出会いは起きない。
予定調和的な範囲で生きて、予定通りのことを体験するのは私は嫌だ。
 
もっと突き抜けないと
もっと偏らないと
もっととんがらないと
もっと違う角度から世界を見ないと
 
あなたは何を思ってもいい
誰から何を受け取ってもいいんだ。