〈美しい〉と一口で言っても、美には色んな美しさがあります。
ヨーロッパに想像される豪華絢爛な美しさもあれば、日本のわびさびに想像される朽ちていく美しさや、無駄なものを極限に削ったミニマムで洗練された美しさもある。
美しいのは若々しいものだけでなく、経験を重ねないと表れない美しさもある。
だから〈美しい身体〉といっても無数にあって、意外と自分の中での〈美しい身体〉がどんなものなのかをよく分かっておらず、自分に合っていない美を取り入れている人は少なくない気がします。
私が美しい身体だと感じるときの要素は、〈美しいライン〉と〈美しい所作〉です。
美しいラインとはつまり、歪みのない身体のことです。
だから、体重の重さや身体の太さはほとんど気にしません。
美しい所作とは、動作のことです。
そして、単に動作がキレイかというよりは、自分自身の内面とその空間につながった動きだとか、場を明るくするような動きというのに魅力を感じます。
身体づくりをする中で、好きじゃないなと思うタイプは、自分の身体のことをちゃんと見ず、なりたい身体になろうとする人。
それは恋愛でたとえると、「俺好みの女になれ」と言っているようなもの。
その女性の尊厳は無視されています。(俺=自分、女=自分の身体)
身体は一人一人全く違います。
兄弟や姉妹でも、似ているところと全然似ていないところがあると思います。私と兄は、ふとした仕草が似ていると感じることもありますが、体質は全然違います。
(例:兄は何も努力せず生涯快便。私は身体づくりをする前は恐ろしい便秘症)
なんなら、一卵性双生児でも、遺伝子は同じなのに、別人ですよね。
私はパーソナルレッスンでたくさんの人の身体を触ってきましたが、どれも全く異なる身体です。違いすぎて面白しろすぎるので飽きません。
共通項もあれば、その人独特の特徴(痛み・歪み・形・弾力・硬さ・鈍さなど)もあるのです。
だから、あなたの身体の美しさを引き出して表れる身体と、あなたが「あの人の身体みたいになりたい」と思う身体が違うと、なかなか結果が出なくて悲しい結末になってしまうと思うのです。
●悲しい結末
・故障しても見て見ぬ振り(→さらなる故障をもたらします)
・いつも筋肉が疲労困憊
・それでもなお「言うことを聞け」と身体を無理矢理動かす
・結果、やっぱり美しい身体になれない
アスリートやプロのダンサー出ない限り、誰かに勝つ必要はありません。
だから、「○○ができる・できない」ということよりも、自分の身体を適切に使えているかということに集中するほうが、”あなたの身体の中で最も美しい状態”になっていけます。
ただ、競争心を身体づくりに使うのは良いと思います。でも、勝つことが目的ではなく、美しくなることが目的であるなら、競争心が手段の目的化にならないように、気をつけるべきでしょう。
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美脚セミナーでウォーキングを指導しているのですが、体幹のラインがキレイになるコツを指導するとき、一気に場の空気というかオーラが変わるのです。20名くらいの人が一気に意識して身体を動かしますから。
その身体の使い方は、今までとは全然違う使い方です。だから、ボディラインも、ひいてはセルフイメージや感情、思考、そして言動や行動までも、変化をもたらすことができるのだと思います。
こういう観点から考えてみても、自分の身体をどう動かすかということの理解を深めないと、トレーニングをするだけでは、ずっとキレイでい続けることは難しいと思います。
4/19(日)美脚セミナー開催情報