システムが身体を劣化させる

私の家の近所のスーパーは、かなり高いけどその分美味しいのが多いのでそれはそれで利用価値があります。(アイスクリームとアイスコーヒーはセブンイレブンです)
 
 
スイカは800円するし、国産マンゴーは1000円(の3割引)。オーガニックアイスコーヒー(パック)は480円くらいで、変なものが使われていないポテトチップスも480円くらい。(豚が一番お買い得なお値段。豚キムチにしました。)
 
最近、このオーガニックアイスコーヒーと、無調整豆乳と無調整牛乳で割ったラテがとても美味しく、はまっています。
 
卵はあまり食べないのですが、食べなさすぎると何となく、体力面に若干の支障を感じるのでたまに買います。(私の普段の食生活では、揚げ物をほとんど食べないので、悪玉も善玉も、コレステロールが平均値よりは低いんです)
 
卵はなるべく「平飼い」とか「放牧」と書いてあるものを買います。値段は一番安い卵より、倍以上します(これは320円くらい)。それを選ぶ理由は、安い卵は、飼育状況がかなりひどいということを知ったからです。(ほとんど動けない場所で生まれ育ち、生産性がなくなれば、箱の中に積み上げされて、ウンチもおしっこも垂れ流し状態で、殺処分場へ運ばれる)利益ばかり追求せず、「平飼い」や「放牧」で鳥を大切にして飼育している養鶏場に頑張って欲しいので、そうしています。
 
日本のうなぎも絶滅危惧種らしいですが、(この前知りました)スーパーの店頭のものを買うと、また来年も「売れる」判断され、スーパーに並ぶわけなので、買わなければスーパーは売らなくなります。なので買わず。
(個人で経営されているうなぎ屋さんなどでは大した量ではないので、そういうところで食べるのはいいなと思います。)
 
それをしたからどうなるということでもないし、この考えを誰かに押し付ける気もありません。(私も食べ方や嗜好を人に何か言われるのは嫌です。ジャンキーなものも食べたい時がありますし、それを食べるなと言われたくありません。)自分自身で、自分がどうありたいか考えて、自分が思う生き方をすればいいと思います。
 
身体づくりを実践している者として思うことは、「食べ物ではないものが食べ物として売られている」ということです。普段から身体づくりをしていると、身体が繊細になります。すると、変なものを食べた時、「これは私の身体にとって食べ物ではない」と判断され、自然と避けます。(もちろん、買う前に判断しているものもあります)
 
だから、「この食品は添加物だらけだからやめておこう」という動機ではなく、「この食品は私にとって食べ物ではない別の何かだから、食べない」という動機です。
なので、私の身体が食べ物だと判断すれば、添加物入りでも食べることはあるということです。(身体にさほど害のない添加物もあるでしょう)
 
近代社会=システム。システムによって、便利になる分、私たちの身体や心は感覚を失い、劣化していきます。システムを避けて生きることはできないですが、かと言って何も考えないで、自分がたまたま生まれた時代の常識を疑わず、誰かに言われた通りに生きるのは思考停止状態と言います。そのまま生ききれたらいいのですが。
 
頭で考えて身体のことを管理しようとしている人は、何か無理矢理感があって、その思想の奴隷になっているなと感じる人は多いです。
 
そうではなくて、普段身体づくりをちゃんとやっていれば、身体が判断してくれるので、「これはダメ」「あれはダメ」ではなく、「今日は食べてもいい」ということも出てきます。それに、そもそも、私は健康のために食べるというわけではなく、身体が欲しているかどうかという指標であり、精神的な癒しのために食べるとか、大切な付き合いを優先して、食べ物を食べるという動機だってあります。
 
だから、自分の身体の状態や特徴を無視して、情報や外側のものによって、思い通りの結果を求めるという構え自体、ナンセンスだなというのが、本音ですね。身体は本当に個人差があるのだから、ネット上に書かれている情報が自分の身体に合うとは限りません。
 
ついでに言うと、「食べ物が身体を作っている」という言葉は、間違いではないと思いますが、「あなたの身体の使い方が、あなたの身体の歪みや偏りを作っている」ということも、忘れないでほしいなといつも思います。が、なかなかそこに関心がいかない人が多く、なぜなんだろうなぁといつも思います。

私の常識では、骨格を矯正したり、身体の使い方を変えることで、身体の痛みや疲労やだるさやむくみなどを改善させるだけでなく、便秘や風邪、生理痛、頭痛などにも、身体の使い方は大いに関与すると感じています。(これも、実際には私が指導して、通用する人としない人がいます。が、多くの方に通用すると感じていることです。)
 
「知らないだけ」という理由の方も多いと思い、お一人お一人と関わって、その人にとっての「身体」という概念をより身近に、より良いものにしていくのが私の役割です。