どこまで健康になるのか

私は健康志向であると思われていますが
私自身はそうだとは思っていません。
 
私は健康になりたくて身体を研究しているのではなく
実は、ただ理にかなった動作をしたいだけなのです。

 
私が感染しているのは「動作」です。
〈動き・動かし方〉について、最も関心があります。
  
理にかなった動きとは、重力に対して理にかなっている動きのことです。
重力に対して適切に身体を動かすと、身体の中に軸ができ、
語弊がありますが、重力を身体で感じなくなる感覚があり、
そして身体が軽くなり、気持ち良さというか、心地よさが感じられます。
 
バレエダンサーの熊川哲也さんのジャンプを想像してください。
彼は、見た目にも重力を感じさせない。
あの身体から、想像つかないほど高く飛び、何より滞空時間がとても長く感じられます。
その時、彼自身も、重力と自分の身体が一体となっている感覚があるのではないかと思います。
 
私もその重力に対して理にかなった動作をすることの虜になっています。
バレエの稽古中、自分の各関節のポジションが “はまる”感覚があります。
その時の、その瞬間の心地よさ。気持ち良さ。
私はそれの虜になっています。
 
自分の身体を認識し、正確に動作することに集中して何度も訓練する。
この繰り返しで、身体はどんどんレベルアップしていきます。
自我の意識であれ、身体であれ、無意識的な反応に対して認識し、
さらに反応していく(身体の場合、正確に動作する)ことで
自分の精神と身体を高次元に押し上げていくことができます。
  
これが私のメソッドの正体です。
 
そして、このプロセス自体が尊くて、面白い。
だから、私は精神においても、身体においても、結果だけを求めるあらゆる手段を嫌います。
 
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私は、健康を目指しているのではありません。
私が身体づくりにおいて、指標にしているのは、〈快・不快〉です。

正しく動作すると、身体が軽くなり、心地よくなる。
実際に、全身の細部に血液が流れるような感覚やその後、身体が熱くなる感覚なども感じます。
これが手に入ることにおいて、私は執着しています。
 
だから結果的に、食べる量、食べる物の質、あるいは、
皮膚に負担がかかる人口的な素材を長時間身につけたり、就寝時に身につけることを避けます。
 
それはすべて、健康というより、自分の身体の〈快・不快〉のために行なっていることです。
だから、世間的には不健康とされていることであっても、自分の身体だ不快だと感じなければ
問題ありません。
 
また、私は、自分の身体の中に”毒”的なものを入れていることも自覚しています。
毒的なものというのは、例えば、砂糖、過剰な糖類の摂取、珈琲など。

私は甘いものをよく食べますし、炭水化物が好きで、タンパク質の量が少ないです。
珈琲はほぼ毎日飲みます。珈琲は身体に良いとか、悪いとか、色々と言われていますが、
まず、そのどちらかに決めようとすることから疑問を感じます。

私はこのような取り過ぎると毒になる食材たちを完全な悪とは感じていません。
また、このような毒が私に与えてくれるものも、完全な悪だとは感じていません。
そして、私はすべての毒を排除する生活を善だとも感じていません。
(もちろんこれは食材に限った話で、水銀だとか、放射能だとか、アスベストなどの正真正銘、身体の毒の話ではないですよ)

私は、自分の身体にとって、心地よく摂取できる量がわかっています。
もちろんそれは、体調によって変わりますから、いつも同じ量ではありません。
私の場合、珈琲は、生理初日だけは絶対NGです。
その日によほど飲みたければ、胃腸にたくさん食べ物が入っている状態で飲みます。
その状態であれば、もっと悪影響を抑えられることを知っているからです。
 
自分の身体のコンフォートゾーン(居心地の良い範囲)に対して、
どこまで食べるとそのコンフォートゾーンが狂ってくるのかも、感覚的に感じています。
そのため、コンフォートゾーンが狂ってきた場合は、ある1日だけ食事をほとんど摂らないか、
果物やシンプルな食事のみにして、時計の針を整えるように調整します。
 
これも全て、身体の〈快〉のためにやっていることです。
 
また、私はプロのダンサーでもなければ、アスリートでもありません。
そのため、身体における真理がある程度理解できるレベルの身体であれば良いと思っています。
そこを追求するよりも、もっと他に頭を使って追求したいこともあるからです。
 
これらの根源となる思いとしては、
私にとって生きることは、うまく生きることが目的ではないからなのだと思います。

自分の身体が老いることも、美しさというか、愛おしさを感じます。
「35歳になったら、こんな身体になるんだなぁ」と、今実感しています。笑
25歳くらいの頃の私は、朝起きた瞬間に、ベッドの中でのけ反ると、
つま先と頭がつきそうなくらい、背骨の伸展可動域がありました。

今は当時からくらべると、筋肉の質が衰えました。
それでも、そうやって衰えていくことを観察することも、私にとっては楽しい営みです。
 
といっても、今も、私の背筋は健在です。
この状態がどこまで保持できるのか、楽しく観察していきます。
 
あなたもぜひ、「なぜ、身体を変えたいのか」その動機の部分を考えてみてください。