その考えの奴隷になるな

子供のころ、私たちは、何か悪いことをすると

お母さんに「ごめんなさいは?」と言われ

傷つけた相手にきちんと「ごめんなさい」

と言葉にし、頭をさげることができた。

 

でも、大人になると、かつてのお母さん

みたいな、”絶対的な存在”がいなくなるからか、

よほど意志の力が強い人でないと

「ごめんなさい」と「頭をさげる」ことができず、

謝らなくても済むように、うやむやにしようとする人がたくさんいる。

 

でも、自分がやったこと、言ったことが

相手にとって、どれだけ失礼かとか

どれだけ迷惑かとかどれだけ傷つけているか

わからないと、社会でうまく生きていけないと思う。

 

人間だから、絶対にミスはしてしまうもの。

ノーミスで生きて素晴らしい成果をあげた

偉人なんてどこにもいない。

 

恥をかくことが、そんなに苦痛か?

まるで失敗すること=「死」みたいになっている。

それはただの先入観で、実際に恥をかいてしまえば

大したことではないと感じる人がほとんどだと思う。

 

現代は、自分が見たいものしか見えない世界。

偏ろうと思えば、どんどん人は偏っていく。

 

ある理論の奴隷になるな。

その理論は本来、あなたが豊かになるために

活用するためにある。

 

完璧な理論なんてこの世に存在しない。

いろんな「考え方」を自分に活用するという前提を

忘れて「考え方」の奴隷になってはいけない。

 

「ある理論」=「あなた」ではない。

 

ある理論とあなたは分離している。

あなたが好きなように、理論を、考え方をチョイスして

自分の人生や周りの人生が豊かになるために

活用していけばいいだけ。

 

長年の思考パターンは中毒と同じ。

その思考パターンを捨てる=自分ではなくなる

という気がするから、なかなか捨てることができないのが普通。

 

でも、完璧な理論なんてこの世に存在しない。

 

その時のあなたのステージにあわせて

捨てるものと残すものをその都度選別して

どんなときも「私」を固定しない。

 

私は、常にアップグレードしていく人生を今は選んでいます。